18.10.7.

ウジヤは、南ユダ王国の第10代目の王です。Ⅱ列王15章では、ウジヤは、「アザルヤ」と呼ばれています。「ウジヤは十六歳で王となり」、南ユダ王国を「五十二年間」治めました(3)。ウジヤは、どのような王だったのでしょうか。

1.主を求めたウジヤ

ウジヤは、「主の目にかなうことを行った」(4)と言われています。これは、良い王たちの特徴であり、偶像を捨て去り、主を求めたということです。ですから、「彼は神を認めることを教えたゼカリヤの存命中は、神を求めた」(5)とあります。「神を求める」とは、「神だけを礼拝する」ということです。ウジヤが神を求めたのは、ゼカリヤから「神を認めること」を教えられたからでした。「神を認めること」とは、「神を恐れること」であり、「自分の上に神がおられることを認め、主の主権の下にひれ伏し、主に従うこと」です。ウジヤは、神の前にへりくだり、「神を認め」、「神を求めた」のです。
神を求めたウジヤは、神によって「栄えさせ」(5)ていただきました。どのように、主がウジヤを「栄えさせた」かということが説明されています。ウジヤは、「ペリシテ人」を打ち破って、領土を西に広げることが出来ました(6)。更に、「アラビヤ人、メウニム人」を打ち破り、南に領土を広げることが出来ました(7)。また、東にも勢力を伸ばし、「アモン人はウジヤのもとにみつぎものを納め」(8)ました。こうして、ウジヤの時代、南ユダ王国は、王国分裂以来、最大の領土となりました。領土の拡大と平和によって、経済活動も活発になり、南ユダ王国は繁栄しました。そのため、「彼の名はエジプトの入口にまで届いた。その勢力が並はずれて強くなったからである」(8)と言われています。これは、全て、「神は彼を助けて」(7)とあるように、主の助けによることでした。
更に、ウジヤは、エルサレムの城壁に「やぐらを建てて」、町の防衛を「強固にし」(9)ました。また、荒野にも「やぐら」すなわち要塞を築き、「多くの水ため」を掘りました(10)。それは、牧畜と農業を防衛し、奨励するためでした(10)。また、ウジヤには、30万人以上の「強力な戦闘部隊」(13)がいました。ウジヤは、兵士一人一人に「盾、槍、かぶと、よろい」(14)などの武器を用意しました。それだけではなく、新しい「巧みに考案された兵器」(15)を開発し設置しました。こうして、ウジヤは、南ユダ王国の軍事力も強化しました。このようにして、ウジヤの名声は広がり、「彼の名は遠くまで鳴り響いた」(15)のです。それは、ウジヤの知恵や能力によったのではなく、主が彼に力と助けを与えたからです(15)。ウジヤが主を求めたので、主が彼を栄えさせたのです。

2.高慢になったウジヤ

ウジヤは、主を求める王でしたが、晩年、「主に対して不信の罪を犯し」(16)てしまいました。聖書には、「彼が強くなると、彼の心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた」(16)とあります。ウジヤは、王として非常に成功しました。富と権力と名声を手に入れました。しかし、それがウジヤにとって「落とし穴」になってしまったのです。ウジヤの成功と繁栄は、全て主によって与えられたものであったにも関わらず、それらを自分の知恵や能力によって得たと思い込むようになってしまったのです。ウジヤは、若い頃からのへりくだりを失い、高慢になってしまいました。
高慢になったウジヤは、「香の壇の上で香をたこうとして主の神殿に入った」(16)のです。神殿の聖所で、「香をたくのは、聖別された祭司たち」(18)だけに許されていることでした。しかし、ウジヤは、この神の定めを無視して、 聖所に入り、香をたこうとしたのです。ウジヤは、自分にはその資格、権威があると思ったのでしょう。しかし、それは、王であっても、許されない行為であり、神に対する不従順の罪でした。その時、「祭司アザルヤが、主に仕える八十人の有力な祭司たち」(17)と共にやって来て、ウジヤに「…聖所から出てください。あなたは不信の罪を犯したのです。…」(18)と言いました。祭司アザルヤに罪と過ちを指摘された時、ウジヤはへりくだり、悔い改めるべきでした。しかし、「ウジヤは激しく怒って」、無理やり「香をたこうと」しました(19)。その時、「祭司たちの前、主の神殿の中、香の壇のかたわらで、突然、彼の額にツァラアトが現れた」(19)のです。「ツァラアト」とは「重い皮膚病」のことです。これは、ウジヤに対する神の裁きであり、「主が彼を打たれた」(20)のです。
「ツァラアト」になった人は、「汚れた者」とされ、社会から隔離され、孤立して生きなければなりませんでした。Cf.民数5:2。「ウジヤ王は死ぬ日までツァラアトに冒され」ていたため、「ツァラアトに冒された者として隔ての家に」住まなくてはなりませんでした(21)。ウジヤは、汚れた者として、二度と神殿に入れなくなり、王宮に住むことも出来ず、一生涯、社会からも切り離され、孤独な人生を送らなければならなくなってしまいました。ウジヤが主を捨てたので、ウジヤも捨てられた人生を送らなければなりませんでした。
「神は高ぶる者に敵対し」(Ⅰペテロ5:5)、「高ぶる者を退け」(ヤコブ4:6)られるのです。
箴言16:18。高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。

高慢は、サタンの性質です。サタンは、元々知恵に満ちた美しい天使でしたが、自分の美しさに高ぶってしまい(エゼキエル28:17)、自分が神の座に着き、神のようになり、栄光を受けようとしたのです(イザヤ14:13-14)。高慢は、「自分が神のようになろうとすること」、「自分が栄光を受けようとすること」です。サタンは、人間を高慢になるように誘惑し、神に敵対させ、人間が神から退けられるように導こうとします。創世3:5
一方、へりくだるとは、「自分の上におられる神を認めること」、「神が栄光を受けることを求めること」です。ウジヤは、「神を認めることを教えたゼカリヤの存命中は、神を求め」ました。しかし、ウジヤが「神を認めること」を止めてしまった時、高慢になってしまったのです。私たちは、常にへりくだって、自分の上におられる「神を認め」、神が栄光を受けることを求めましょう。Cf.ヤコブ4:6-7。神は「へりくだる者に恵みを与えられるからです」(Ⅰペテロ5:5)。 詩篇20:7-8イザヤ57:15

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