17.10.15.

正義の胸当てを着ける

エペソ6:10-18

神が私たちに用意しておられる霊的な武具の第二は、「正義の胸当て」(6:14)です。
「胸当て」とは、兵士が戦いの際に、身を守るために、胸につけた武具です。
胸には、大切な心臓があり、心臓を突かれてしまったら、すぐに死んでしまいます。
ですから、「胸当て」で大切な心臓を守りました。
私たちも「正義の胸当て」を着けて、私たちの「心」を守らなければなりません。
では、「正義の胸当て」を着けるとはどういうことでしょう。

1.義とされていることを確信する

悪魔は、私たちの「心」すなわち「良心」を攻撃してきます。
私たちの弱さ、欠点、失敗、過ちを見つけ出し、私たちを責め立てるのです。黙示12:10
必要以上の「罪責感」を持たせ、罪の意識で苦しめます。
そして、神に愛され、受け入られる価値がない、恵みを受ける資がないことを訴えます。
そのようにして、私たちを「ダメなクリスチャン」と思い込ませ、
私たちのセルフイメージを低くし、不健全なものにするのです。
悪魔は、神に愛され祝福されているクリスチャンを妬み、憎んでいます。
私たちに神の愛と救いを疑わせ、そこから私たちを引き摺り下ろそうとします。
そして、私たちから喜び、平安、希望を奪い取ろうとするのです。
しかし、悪魔は、嘘つきであり、偽り者です(ヨハネ8:44)。
悪魔のささやきに耳を貸したり、惑わされたりしてはなりません。
そのために、私たちは「正義の胸当て」を着けなければなりません。
聖書での「正義」とは、単に道徳的、法律的に「正しい」というだけではありません。
聖書の言う「正義」とは、「神との正しい関係」にあることです。
私たちが神の前に正しいということ、すなわち義と認められているということです。
私たちは、行いによってではなく、信仰によって、「義と認められ」ました。ガラテヤ2:16
今、イエスの内にある私たちは、「義」とされています。ローマ8:1,33,34
確かに、私たちには、弱さ、欠点、失敗、過ちがあります。
しかし、それにも関わらず、神は、私たちを「義」と認めて下さっているのです。
自分の感情や感覚、周りの状況、人の言葉によって惑わされることなく、
信仰によって「義」とされ、神の子とされていることを確信しましょう。
(また、もし罪を犯してしまったなら、すぐにそれを神の前に告白し、悔い改め、
神からの赦しときよめをいただきましょう。Ⅰヨハネ1:9。)

2.御言葉によって良心を守る

悪魔が私たちに罪責感をもたらし、私たちを罪の意識で責め立てることは、
私たちの良心を必要以上に刺激し、罪について過剰反応させることだと言えるでしょう。
また逆に、悪魔は、私たちの良心を麻痺させるという攻撃もしてきます。
私たちの良心を麻痺させて、罪に対して無感覚にさせ、罪へと誘惑するのです。
私たちは、神を認めず、自己中心な考え方や生き方をしている世の中に生きています。
そのような中で、悪魔は、少しずつ、少しずつ、私たちの良心の感覚を麻痺させます。
次第に罪の意識が薄れ、罪に対して無感覚となってしまい、何も悪いと感じなくなり、
いつの間にか、この世の考え方や生き方に倣ってしまうのです。
「良心」とは、善悪を判別する警報器(アラーム)のようなものです。
警報器に求められることは、「正確さ」です。
警報器が正しく作動しなければ、命にかかわるような大変な事故になってしまいます。
同じように、私たち人間は、神に似せて造られているので、
私たちの心には、生まれながらに「善を喜び、悪を憎む」という「良心」があります。
良い事をすれば、喜びがあり、悪い事をすれば、心が痛みます。
私たちの「良心」も正しく働かなければ、大きな罪や過ちを犯したり、失敗します。
そうならないように、私たちの心を「正義の胸当て」で守らなくてはなりません。
それは、私たちの「良心を守る」ということで、「正義感を持つ」こととも言えます。
私たちは、人間的な視点の「正義」ではなく、
神の視点による「正義」を持たなくてはなりません。
そして、神の「正義」は、御言葉に記されています。
私たちは、御言葉によって、神の前に何が正しい事なのか、
また何が間違っている事なのかを判断することが出来ます。
たとえ、この世の皆がやっていることであっても、神が悪とすることは悪なのです。
たとえ、世の人々から変わり者と思われたとしても、
神が良しとすることを私たちは行うのです。
私たちは、御言葉を心に蓄えることによって、良心が守られます。詩篇119:9,11
御言葉を心に留めることによって、罪や悪や汚れに対する無感覚から守られ、
この世の罪と悪と汚れから守られるのです。
そして、私たちの歩みは確かなものとされ、祝福されるのです。詩篇1:1-3

兵士が「胸当て」によって「心臓」を守ったように、
私たちも神が備えて下さる「正義の胸当て」によって、
悪魔の攻撃から私たちの「心」すなわち「良心」を守るのです。
悪魔がもたらす「罪責感」と「罪に対する無感覚」から「良心」を守るのです。
信仰によって、私たちが神の前に義とされていることを確信し、宣言しましょう。
御言葉を心に留め、守ることによって、私たちの良心を守りましょう。Cf.箴言4:23

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