18.7.1.

ヨハネの福音書における、イエス様の5番目の奇跡は「湖の上を歩く」という奇跡です。この奇跡は、マタイ14:22-33とマルコ6:45-52にも記録されています。「嵐の湖の上を歩く」という奇跡は、私たちに何を教えているのでしょう。

1.人生の海の嵐

イエスが五つのパンと二匹の魚で5千人以上の人々を満腹させた後のことです。「夕方になって」、弟子たちはガリラヤ湖の「湖畔」に降りて行き(16)、「舟に乗り込み、カペナウムのほうへ湖を渡って」行きました(17)。マタイ14:22によると、イエスご自身が「弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ」たとあります。そして、イエスは「群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られ」(マタイ14:23)ました。それは、イエスがご自分を「王」(15)としようとする群衆から離れ、一人静かに父なる神との交わり、御心を確認するためだったのでしょう。
一方、弟子たちのいる「湖は吹きまくる強風に荒れ始め」(18)ました。ガリラヤ湖は、独特の地形のため、しばしば風が強く吹き付けることがありました。弟子の多くは、ガリラヤ湖の漁師たちで、ガリラヤ湖のことは知り尽くしていました。彼らは、そのような突然の嵐に対する対処法も知っていたことでしょう。しかし、この時は、いつもとは違っていました。弟子たちは、「風が向かい風なので、波に悩まされて」(マタイ14:24)しまいました。彼らは、嵐に巻き込まれて、湖の真中で、立ち往生してしまったのです。
人生も、常に順風満帆とは限りません。突然、人生の嵐が襲って来ることがあります。それまで平穏だったのに、ある日突然、問題や困難に直面させられることがあります。弟子たちがイエスに従って舟に乗り込み、向こう岸に行こうとした時に、嵐に遭ったように、人生の嵐は、神に従おうとした時に襲って来ることもあります。しかし、主は、私たちを見捨てることはありません。

2.歩み寄られるイエス

イエスは、「湖の上を歩いて」弟子たちに近づかれました。マルコ6:48には、「イエスは、弟子たちが、向かい風のために漕ぎあぐねているのをご覧になり、夜中の三時ごろ、湖の上を歩いて、彼らに近づいて行かれた…」とあります。イエスは、弟子たちが嵐に悩まされているのを知って、彼らに近づかれたのです。人生の嵐の中で奮闘していると、時々孤独を感じてしまうことがあります。しかし、私たちの主は、私たちの悩み、苦しみ、悲しみ、痛みをご存知です。Cf.詩篇31:7。そして、イエスが嵐で荒れ狂うガリラヤ湖の上を歩いて、弟子たちに近づかれたように、私たちの問題や困難がどんなに大きなものであっても、主はその上におられ、その大波を踏みつけて、私たちのところに来て下さるのです。
しかし、弟子たちは、「夜中の三時ごろ」(マタイ14:25)、暗闇の嵐の中、湖の上を歩く人の姿を見て、「「あれは幽霊だ。」と言って、…恐ろしさのあまり、叫び声を上げ」(マタイ14:26)てしまいました。怯える弟子たちに、イエスは「わたしだ。恐れることはない」と語りかけられました。この「わたしだ」という言葉は、ギリシャ語では「エゴ・エイミ」で、「わたしはある」とか「わたしはいる」という意味です。昔、モーセが荒野で燃える柴の中から語りかける神にその名前を尋ねた時、神は「わたしは、『わたしはある』という者である」(出エジプト3:14)と答えられました。イエスの「わたしだ」という言葉は、イエスが神であることの宣言でもあったのです。
イエスは、荒れ狂う嵐の中から、弟子たちにご自身を神として現されたのです。主は、人生の嵐の中で、悪戦苦闘している私たちに近づいて下さり、「わたしだ。恐れることはない」と語りかけておられます。Cf.イザヤ41:10。

3.湖の上を歩いたペテロ

マタイの福音書では、イエスが舟に乗り込まれる前の出来事が記されています。ペテロは、湖を歩いて近づいて来るのがイエスであると分かると、「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください」(マタイ14:28)と言い出したのです。これは、常識的には、非常に馬鹿げたお願いでした。しかし、この願いには、ペテロの信仰が見られるのではないでしょうか。ペテロは、不可能なことでも、イエスなら可能として下さると信じたのです。そして、ペテロは、イエスに自分の限界を越えさせて下さいと願ったのです。
イエスは、ペテロの願いを拒んだり、否定もせず、「来なさい」(29)と言われました。すると、「ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った」(29)のです。ペテロは、イエスによって、自分の境界線を越えさせていただいたのです。
私たちは、神を信じていても、本当に心から神に不可能はないと信じているでしょうか。何か問題があると、自分の頭の中で計算し、出来ることと、出来ないこととを分け、可能な事は神に期待するが、不可能な事は祈りもしないということはないでしょうか。いつの間にか、自分で限界を設け、全能の神を制限してしまってはいないでしょうか。敢えて嵐の中に入って行くよりは、舟の中の安全な場所、居心地の良い場所に留まろうとしてしまっていることはないでしょうか。
私たちも、限界と思っている事、不可能と思っている事を越えさせていただきましょう。意心地の良い場所、安全地帯から一歩踏み出して、見たこともない、聞いたこともない、考えたこともない新しい領域へと進ませていただきましょう。Ⅰコリント2:9。

自分の知恵や力によって、人生の嵐を乗り切ろうとしても、時間と労力を費やすだけで、なかなか先には進めません。しかし、主は私たちの労苦をご覧になり、私たちに近づいて下さり、「わたしだ。恐れることはない」と語っておられます。そして、「来なさい」と招いておられます。主に信頼して、人生の荒波の中へと信仰の一歩を踏み出して行こうではありませんか。主は、私たちをも嵐の水の上を歩かせて下さいます。

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