19.9.15.

福音宣教は、使徒1:8にある通り、「エルサレム」から始まり、「ユダヤとサマリヤの全土」、さらに「地の果て」すなわち全世界に広まっていきました。そして、その福音宣教に大きく貢献したのがパウロです。

1.福音宣教に対する情熱

パウロは、「ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです」(13)と言っています。10節にも、「何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています」と書いてあります。

パウロがこの「ローマ人への手紙」を書いたのは、AD56年頃で、第3回伝道旅行の道中、コリントに滞在している時でした。パウロは、当時の世界の中心地であるローマにも教会があるということを聞いて、ぜひローマに行って福音を宣べ伝えたいと願っていました。ローマは大都市であり、そこには「ギリシヤ人」も「未開人」も、「知識のある人」も「知識のない人」も、あらゆる人々が集まっていたからです(14)。パウロは、それらの人々に「ぜひ福音を伝えたい」と思ったのです。

しかし、なかなかローマに行く道が開かれなかったようです(13)。実は、パウロは、第3回伝道旅行で「マケドニヤ」に行った時に(使20:1)、「イルリコ」まで行って福音を宣べ伝えていたのですが(ロマ15:19)、そこからアドリヤ海を越えてイタリヤに渡れば、ローマに行くことも出来ましたが、その時には行くことが出来なかったようです。しかし、パウロは、「イスパニヤ」(スペイン)へ行くという計画を立て、その途中でローマに立ち寄ろうとしていました(ロマ15:23)。パウロの思いの中には、常にローマでの宣教の情熱があったのです。

パウロは、福音宣教への思いを「返さなければならない負債」(14)という表現を用いて、福音宣教はどうしてもしなければならないことであると言っています。Ⅰコリ9:16でも、福音宣教は「私がどうしても、しなければならないこと」であると言っています。パウロは、福音を宣べ伝えることに情熱を持っていました。

2.福音宣教の緊急性と必要性(ヨハ4:35)

パウロがこれほどまでに福音を宣べ伝えることに情熱を持っていたのは、どうしても福音を宣べ伝えなければならない緊急性と必要性を感じていたからです。

① 福音を伝えられる時間は限られている

まず、イエスは、「あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。』と言ってはいませんか」と言われました。私たちは、色々な言い訳を並べ上げ、福音を伝えるのは「まだ」だと言っていないでしょうか。しかし、私たちが福音を宣べ伝えることが出来るのは、この地上にいる間だけです。また、福音を伝えようとしている相手も、いつまでも生きているとは限りません。さらに再臨の時、私たちが天に上げられたら、福音を宣べ伝えることは出来なくなります。ですから、緊迫感をもって福音宣教に取り組んでいかなければならないのです(ヨハ9:4、Ⅱテモ4:2)。

② 救われるべき人々が大勢待っている

イエスは、「畑」は、「色づいて、刈り入れるばかりになっています」と言われました。これは「福音に耳を傾け、救われる人が大勢いる」という意味です。世の中には、成功し、満足しているように見える人がいます。しかし、心が傷ついていたり、問題をかかえていたり、悩んでいたしているのです。神無しの人生は空しく、何の喜びも満足もなく、最後にはみな永遠に滅びてしまうのです。今日、人々はキリストの救いを必要としているのです。キリストだけが救いです。日本は、福音宣教が難しいと言われ、救われる人の数は少ないままです。しかし、イエスは「収穫は多い」と言われ、「働き手が少ない」と言われました(マタ9:37)。福音を伝える人がいなければ、福音を聞くことも、信じることも出来ません(ロマ10:14)。私たちを待っている人たちがいるのです。

3.福音宣教への献身

パウロがローマに行って伝道することは、神の御心でした。主はパウロに「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」(使23:11)と語られました。そして、パウロはカイザリヤへと護送されることになり、そこで裁判にかけられました。その時、パウロはローマ皇帝「カイザルに上訴」(使25:11)したため、ローマのカイザルの元へと送られることとなったのです。囚人という立場でしたが、不思議な導きでローマに行くこととなりました。

2年後、パウロは、船でカイザリヤを出発し、ローマへと向かいました。パウロを乗せた船はすぐに嵐に巻き込まれましたが、主はパウロをローマへと導いて下さいました。ローマでは、「パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許され」(使28:16)ました。パウロは、2年間、鎖につながれた囚人であったため、ユダヤ教会堂や広場に出て行って伝道することは出来ませんでした。しかし、「たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた」(使28:30-31)のです。

その後、パウロは一旦は解放され、数年間伝道に励んでいました。しかし、67年頃、皇帝ネロの時代の激しい迫害の中で捕らえられ殉教しました。かつて、パウロは、「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません」(使20:24)と告白していました。パウロは、福音宣教の使命ために、自分の命をささげたのです。

 

私たちも、パウロのように、福音宣教に対する情熱を持とうではありませんか。目を高く上げて、福音宣教を目指しましょう。そこには、福音を必要とし、救われることを待ち望んでいる人々が大勢います。多くの困難があり、犠牲を払わなければならないこともあるかもしれませんが、福音を宣べ伝えるために、自分の人生をささげていきましょう。

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