15.8.23.

キリストの体として一つになる

エペソ4:16

教会について聖書から学びましょう。

1.キリストの体である教会に一体となるように召された

「教会」はギリシャ語で「エクレシア」といい、
「神様に召し集められた者たち」のことを意味しています。
神様は私たち一人一人をイエス様の救いに与るように召して下さっただけではなく、
私たちを一体となるように召されたのです。Ⅰコリント12:13。エペソ3:6。コロサイ3:15。
この「体」とは、「キリストの体」である教会を意味しています。エペソ1:23。Ⅰコリント12:27。
私たちはキリストの体である教会として一体となるように神様に召し集められ、
キリストの体である教会を構成する各器官とされたのです。
「一つのからだとなるように」、「ともに一つのからだに連なり」、「一体となった」とは、
単に「教会に集う」ということではなく、「教会に属する」ということです。
教会がキリストの体であり、私たちがその器官であるということは、
教会が一つの組織体であり、私たちがその構成員であることを示しています。
キリストの体なる教会に所属するということは、神様の御言葉に従うことなのです。
私たちが問われていることは、御言葉に従うか自分の考えに従うか、
神様に従うか自分のやり方を通すかということです。
私たちはキリストの体である教会として一体となるように召し集められたのですから、
キリストの体である教会にしっかりと組み合わされなければなりません。エペソ4:16。

2.愛をもって一つとなってキリストの体である教会を建て上げる

聖書は、私たちがキリストの体として一つとなるようにと言っています。エペソ4:1-4。
「その召しにふさわしく」歩むということは、「御霊の一致を熱心に保」つこと、
すなわち教会として一つとなるように自分の意志を傾け努力するということです。
聖書は、一致することを強調して教えています。Ⅰコリント1:10。ピリピ2:2。
またイエス様は、弟子たちが一つとなるように心から祈られました。ヨハネ17:11,21-23
私たちが一つとなることは、神様の御心であり、イエス様が願っておられることなのです。
ですから、もし一致しないのなら、神様の御心に反し、イエス様を悲しませているのです。
パウロは、「分裂、分派」は「肉の行い」だと言っています。ガラテヤ5:19,20
そういう人は「御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。」(ユダ1:19)
教会が一つとなるためには、教会を愛するということが必要です。
イエス様は教会のためにご自身の命をささげられるほど教会を愛されました。エペソ5:25
イエス様はまだ十分に整っていない不完全な教会であっても愛しておられるのです。
私たちも、たとえ教会が不完全であったとしても教会を嫌うことなく、
イエス様が教会を愛されたように、教会を愛する者となろうではありませんか。
パウロは教会を迫害することはイエス様を迫害することであると示されました。使徒9:4,5
同じように、教会を愛することは、イエス様を愛することとなるのです。
イエス様を愛する者は、教会をも愛するのです。Ⅰヨハネ4:20,21
聖書は、私たちが教会として愛によって建て上げられるようにと言っています。エペソ4:16

3.愛によって一つとなるための留意点

イエス様は私たちに、イエス様が私たちを愛して下さったように、
私たちが互いに愛し合うようにと命令されました。ヨハネ15:12

① 批判したり裁いたりしない

教会に対する愛があるなら、教会について否定的なことは言いません。
聖書は人を批判したり裁くことを禁じています。マタイ7:1,2、ローマ2:1、14:10-13
批判し合ったり、裁き合うのではなく、励まし合いましょう。ローマ14:19。エペソ4:29
一方的に裁かず、表面的なことだけで判断することなく、自分の口を開く前に、
その人の置かれた事情にも目を向け、また耳を傾けましょうヤコブ1:19,20
相手のことが理解出来るようになると、批判することも、裁くこともなくなります。

② 噂話を避けてる

噂話も避けなければなりません。
聖書は噂話を避けるよう忠告しています。箴言20:19。箴言26:20
もし噂話の仲間に入ってしまうなら、自分も問題に巻き込まれ、問題を複雑化させます。
マタイ18:15-17には、問題を解決するための手順が記されています。
罪を犯している人のことを知ったなら、誰かに話す前に、
まずその人と個人的に会って話をしなければなりません。
しかし、その前に、神様の元に行って、その人のことについて祈ることが必要です。

③ 赦しの心を持つ

イエス様は、「七度を七十倍するまで」赦すようにと言われました。マタイ18:21
そして、イエス様は「王としもべ」のたとえ話をされました。マタイ18:23-33(or35)。
神様が私たちの大きな罪を赦して下さったのですから、
私たちも赦された者として、他の人をも赦すべきなのです。コロサイ3:13。エペソ4:32
いつまでも恨みと怒りを心の中に留めておき、被害者意識を持ち続けるなら、
いつまでも心は傷つき、落ち込み、暗くなり、惨めな気持ちを抱き続けます。
何度も恨みを繰り返すのではなく、それを手放してしまうのです。エペソ4:26,27
また、復讐は神様のものであるという信仰が必要です。ローマ12:17-21

愛によってキリストの体なる教会を共に建て上げて行くのです。コロサイ3:12-15

私たち一人一人はキリストの体と一体となるように神様によって召し集められました。
ですから、一人一人がキリストの体の器官として、しっかりと組み合わされ、
建て上げられていかなくてはなりません。
一人一人がなくてはならない必要な存在なのです。Ⅰコリント12:15-17,21,22
互いに愛し合い、愛によって建て上げられていきましょう。エペソ4:16

Filed under: 伊藤正登牧師