18.6.10

ヨハネの福音書における、イエスの4番目の奇跡は、5つのパンと2匹の魚で、男だけで5千人以上の人々を養うという奇跡でした。この奇跡は、私たちに何を教えているのでしょうか。

1.信仰のテスト

イエスと弟子たちは「ガリラヤの湖」すなわち「テベリヤの湖」の「向こう岸」に行きました(1)。それは、伝道から帰ってきた弟子たちの休息のためでした(マルコ6:31)。ところが、「大ぜいの人の群れ」(2)がイエスの後を追ってやって来ました。そのような彼らをイエスは拒むことをせず、喜んで迎えました。やがて、日も暮れてきましたが、彼らは食事のために何の準備もしていませんでした。その時、弟子たちは、イエスに「この群衆を解散させてください」(ルカ9:12)と言いました。しかし、イエスは、「あなたがたで、何か食べる物を上げなさい」(ルカ9:13)と言われました。特にピリポには、「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか」(5)と尋ねました。イエスは、「ピリポをためしてこう言われた」(6)のです。イエスのこの問いかけは、ピリポの信仰のテストであったのです。イエスは、ピリポがどれだけ信仰があるかを試されたのです 続きを読む

18.6.3.

 

イエスは、ガリラヤのカナで、「最初のしるし」と「第二のしるし」を行われました。第三番目の奇跡は、「ベテスダと呼ばれる池」での癒しです。

1.目を留め理解して下さるイエス

イエスは、「ユダヤ人の祭り」(1)のために、再び「エルサレムに上られ」(1)、「ベテスダと呼ばれる池」(2)に行かれました。「ベテスダと呼ばれる池」は、神殿にいけにえをささげに来た巡礼者たちの沐浴のため、また、いけにえの動物を洗ったりするため、つまりきよめのために用いられました。しかし、この池は、次第に癒しの力がある池だと考えられるようになりました。 続きを読む

18.5.20.

生ける水が川々となって流れ出る

ヨハネ7:37-39

「ペンテコステ」はギリシャ語で「50日目」という意味で、「五旬節」と呼ばれています。「五旬節」は、過越しの祭りから数えて50日目に行われました。レビ23:15~。また、7週間経過するところから「七週の祭り」とも呼ばれました。出エ34:22申命16:10。キリスト教会にとっては、この日に聖霊が注がれ、聖霊に満たされた弟子たちによって、初めて福音が語られ、教会が誕生した記念すべき日です。使徒2:1-4続きを読む

18.5.6.

王室の役人の息子のいやし

ヨハネ4:46-54

イエスは、カナにおいて、「第二のしるし」(54)として奇跡を行われました。
それは、「王室の役人」(46)の息子をいやすという奇跡です。 続きを読む

2018.4.15.

水をぶどう酒に変える

ヨハネ2:1-11

イエスが最初に奇跡を行われた場所は、ガリラヤのカナという村でした。
イエスは、カナで催された婚礼で、水をぶどう酒に変える奇跡を行われました。

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18.4.8.

いのちのパン

ヨハネ6:1-59

ヨハネの福音書には、イエスが「わたしは~である」と宣言された言葉が7つあります。
わたしは~です」から、イエスがどのようなお方であるかを知ることが出来ます。 続きを読む

18.4.1.

復活の主による希望

ヨハネ11:25,26

イエスは、十字架にかかり死なれ、体は亜麻布に包まれて、墓に葬られました。
その墓は、岩をくりぬいた洞窟のようなものでした。
イエスの体が墓に納められると、墓の入口は大きな石で塞がれました。
イエスの弟子たちは、イエスの死を深く悲しみ、絶望の暗闇の中にありました。
しかし、イエスは、3日目によみがえられました。
絶望のどん底にあった弟子たちは、復活されたイエスに会い、喜びに満たされました。
復活された主イエスは、私たちに希望を与えて下さいます。 続きを読む

18.3.25.

受難週のキリスト

Ⅰペテロ2:22-24

受難週は、イエスがエルサレムに入城してから、十字架で死なれるまでの一週間です。
この週、私たちを救うために苦しみを受けられたイエスを特別に覚えます。
今日は、受難週の主な出来事を通して、イエスがどのようなお方であるか学びます。

 

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18.3.11.

アドナイ・ハッショフェト : 審判者なる主

士師11:27

ユダヤ人は「主の御名」をむやみに唱えて冒涜しないように(出エ20:7)、
ヤハウェ」とは呼ばず「アドナイ」()と置き換えて呼ぶようになりました。
この「アドナイ」に他の言葉が組み合わされ、神のご性質を示すものとなっています。 続きを読む

18.3.4.

アドナイ・シャロム : 平安なる主

士師6:24

神の名は、ヘブル語で「ヤハウェ」で、意味は「わたしはある」です。出エ3:14-15
しかし、ユダヤ人は「主の御名」をむやみに唱えて冒涜しないように(出エ20:7)、
ヤハウェ」とは呼ばず「アドナイ」()と置き換えて呼ぶようになりました。
この「アドナイ」に他の言葉が組み合わされ、神のご性質を示すものとなっています。 続きを読む