15.1.25.
いつも主を賛美する
詩篇34:1-7
詩篇34:1。私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口にはいつも主への賛美がある。
ダビデがこのように言った時の状況は、何の問題もないような時ではありませんでした。
感情的には、とても賛美出来るような状況ではありませんでした。
しかし、ダビデは主をほめたたえ賛美したのです。
どのようにしたら、私たちもいつも主を賛美することが出来るのでしょう。
1.感情や状況ではなく信仰によって
人生における試練の時、様々な問題に悩まされる時、痛みと苦しみを経験する時、
どうしてそのようなことが起こるのかと気持ちが混乱してしまい、
神様のことが分からなくなってしまうことがあります。
そのような時、人間的、感情的には、賛美することは非常に困難です。
心からの喜びをもって神様を賛美することは大切なことですが、
私たちが神様を賛美するのは、感情だけによるのではありません。
神様が求めておられることは、私たちの感情ではなく信仰なのです。
ヘブル11:6。信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は、神がおられることと、
神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
どのような状況においても、神様を信頼することが大切です。
目の前の状況がどうであっても、自分がどのように感じたとしても、
神様は常に存在しておられ、私たちを導いておられるのです。
たとえ人生の問題や試練の中にあり、悲しみや痛みがあっても、
神様に全てを委ね、信仰によって神様を賛美するのです。
2.賛美するために必要な信仰の姿勢
どんな時でも神様を賛美するためには、どのような信仰の姿勢が必要なのでしょうか。
① 神様のご性質に思いを向ける
私たちの思いを問題ばかりに向けているなら、それだけが大きく思え、
次第にその問題に心が支配され、神様を賛美する余裕もなくなってしまいます。
私たちの思いを問題や状況、人や自分自身にではなく、神様に向けるのです。ヘブル12:2,3。
神様に思いを向けるとは、神様がどのようなお方なのかを思い起こすということです。
状況がどうであっても、またどのように自分が感じようとも、
神様の変わることのないご性質を信じ、その神様に信頼するのです。
神様は良いお方、神様は愛して下さるお方、神様は共におられるお方、
神様は全てをご存知のお方、神様は私のことを心配して下さるお方、
神様は私の人生に素晴らしい計画をお持ちであるお方(エレミヤ29:11)、
神様は私のために全てを益にして下さるお方(ローマ8:28)です。
ダビデはどのような状況の中でも神様に信頼し、神様を賛美しました。詩篇33:21。
私たちが神様を見上げ、神様に信頼する時に、神様への賛美が湧き上って来るのです。
② 御言葉の約束を信じる
自分の問題のことについてばかり考えていると、思い煩うようになり賛美出来ません。
問題を思い煩うのではなく、神様の御言葉を思い巡らすことが必要です。
私たちの視点を問題ではなく、聖書の御言葉に移すのです。
私たちの信仰は、感情や体験の上に立っているのではなく、
変わることのない真理の御言葉、神様の約束の上に立っているのです。
神様の御言葉は決して変わることも、揺らぐこともない大きな岩のようなものです。
岩なる御言葉の上に立っている限り安全ですが、
自分の感情や体験、人間の知恵や力、人の言葉、この世の物に頼ってしまうなら、
何か試練があるとすぐに揺らぎ、簡単に崩れ去ってしまいます。マタイ7:24-27。
まず真理である御言葉があり、それを信仰によって受け取るのです。
感情や体験は、後から結果としてついて来るものなのです。
今の目の前の状況がどうであれ、神様の御言葉の約束を信じて神様を賛美するのです。
③ 神様の恵みを思い起こす
神様はこれまでどんなにか私たちを守り、助け、支え、導いて下さったことでしょう。
悪い出来事だけに目をとめてネガティブに考えてしまうのではなく、
神様が与えて下さった恵みを一つ一つ思い起こすことが大切です。詩篇103:1-5。
神様が私たちにして下さった恵みを忘れてはなりません。
特に、私たちが忘れてはならない神様の恵みは、
イエス様が私たちを救うために十字架で成して下さった救いの御業です。
これこそ、私たちが神様に賛美をささげる最大の理由と言えます。
私たちはイエス様の救いについて何度も聞きているため、
もう当たり前のことになってしまっていないでしょうか。
神様の恵みを思い起こす時、神様への感謝と信頼が生まれ、賛美が沸き起こるのです。
3.賛美に現される神様の御力
使徒16:16-34。パウロとシラスは、ピリピの町に行った時、
占いの霊につかれた女奴隷から占いの霊を追い出しました。
そのため、彼女の主人に訴えられ、着物を剥され、公衆の前で何度もムチを打たれました。
そして、パウロとシラスは牢屋に入れられ、足かせをかけられてしまいました。
しかし、その真夜中、パウロとシラスは神様に祈りつつ賛美の歌を歌ったのです。
すると、堅固な獄舎の土台は揺り動かされ、しっかりと鍵が掛けられた扉は打ち破られ、
頑丈な鉄の鎖も断ち切られてしまったのです。これは、神様が働いて下さったからです。
賛美する時、神様が働いて下さり、神様の力ある業が現されるのです。
なぜなら、賛美の中に神様がおられるからです。詩篇22:3。
神様の臨在の中で、神様が働かれて、救い、癒し、解放などの御業が現されるのです。
賛美する気持ちになれない時でも、状況や目の前の状態がどのようなものであっても、
たとえ全てがうまくいかなくても、たとえ物事が何も変わらないようでも、
神様を見上げ、神様の御言葉を信じ、神様の恵みを覚え、
ダビデのように、あらゆる時に神様を賛美する者となりましょう。