2019.10.27
イエスは私たちをご自身と繋がりのある者として、そして私たちが霊的な成長をするために必要なものが全て備えられている者として見ておられます。私たちが一度イエスに自分の人生を明け渡したなら、イエスは私たちをご自身から離れた者とは見られません。イエスは私たちに聖霊を送られ、私たちと親しい交わりを持つようにされました。私たちはイエスに繋がり、イエスとひとつにされたのです。私たちは自分自身をイエスに繋がり、霊的成長のために必要なものが全て備えられていることを信じなければなりません。
イエスが十字架で死なれたのは、ただ単に私たちが天国に行くためではありません。イエスは私たちに対する罪の責めを取り除くために十字架にまで行かれたのです。旧約において神がご自身の民にご自身のものであるというしるしとして割礼を与えたように、私たちは水のバプテスマを受けることによってキリストによる割礼を受けたのです。キリストだけが私たちを聖なる者、非難されることのない者とすることの出来るお方です。なぜなら、キリストが十字架の上で私たちの罪と咎を取り除かれたからです。
パウロはコロサイのクリスチャンたちにキリストに根差して建て上げられるようにと言っています。もし私たちが単純にキリストを信じ、キリストにしっかりと建て上げられ、とどまり、福音において示されている希望から動くことがなければ、キリストご自身が私たちを御前できよく、傷もなく、責められることのない者とならせて下さるのです。私たちは自分の感情や経験などに左右されることなく、聖書が語っている約束にとどまらなければならないのです。キリストの完全な贖いを信じるのです。
メッセージ:キャシー・タイナー姉
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