エリヤの祭壇

Ⅰ列王18:16-40

22.7.17.

30節に、エリヤは「こわれていた主の祭壇を建て直した」と書いてあります。エリヤが建て直した祭壇には、どのような意味があったのでしょうか。

1.神との関係を建て直す

エリヤは、旧約聖書を代表する預言者で、名前は「主は我が神」という意味です。エリヤは、北イスラエル王国をアハブ王が支配している時に活動しました(BC9世紀中期頃)。アハブは、経済的・政治的には成功した王でしたが、信仰的には非常に堕落していました。16:30には「アハブは、彼以前のだれよりも主の目の前に悪を行った」とあります。アハブは、シドン人の王の娘イゼベルを妻にしました。そしてイゼベルは、バアルとアシェラという偶像をイスラエルに持ち込みました。アハブもバアルの神殿を建て、アシェラ像を作らせ、イスラエルに偶像礼拝を導入し、真の神の預言者たちを迫害しました(16:29-33)。

アハブによる偶像礼拝の奨励によって、「主の祭壇」は壊され、荒れ果てていました。「祭壇」とは、神にいけにえをささげ、祈りと礼拝がささげられるところです。「祭壇」は、神に対する信仰、服従、献身を表わすものでした。ですから、「主の祭壇」が壊れていたということは、神に対する信仰、服従、献身が失われていたということ、すなわち神との関係が壊れていたということです。その結果、三年間、イスラエルには「露も雨も降らない」(17:1)状態が続きました。イスラエルには神の恵みが注がれることが止められてしまっていたのです。神は全ての恵みの源であり、全ての恵みが神から流れ出ます。しかし、不信仰や不従順という罪が神からの恵みを塞き止めてしまうのです(イザ59:1-2)。

私たちの「祭壇」すなわち神との関係はどうなっているでしょうか。勿論、信仰を捨ててしまったわけでも、大きな罪を犯したわけでもないでしょう。忠実に礼拝を守ったり、聖書を読んだり、祈ったり、奉仕もしているでしょう。しかし、それらのことが表面的、形式的なものになってはいないでしょうか。いつの間にか、心が神から離れて、偶像で一杯になってしまってはいないでしょうか。かつては神の恵みに感謝し、喜びが溢れていたのに、神の恵みの雨が注がれなくなり、霊的に渇いた状態になってはいないでしょうか。「主の祭壇」が壊れたまま、荒れ果ててはいないでしょうか。

「こわれていた主の祭壇」を建て直すということは、壊れてしまった神との関係を建て直すことです。すなわち、神に対する信仰、服従、献身をもう一度回復させることです。

2.信仰復興のために祈る

エリヤは、どちらの神が本当の神であるのかをはっきりさせるために、バアルの預言者450人とカルメル山で対決することを申し出ました(19)。そして、集まったイスラエルの民に言いました。「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。」(21) イスラエルの民は、真の神を礼拝しながら、バアルやアシェラをも礼拝していたのです。イスラエルの民は、真の神とバアルやアシェラを二股かけるような、「どっちつかずによろめいている」(21)状態だったのです。

エリヤは、バアルの預言者たちにいけにえにする「二頭の雄牛」を用意させ、それぞれいけにえの雄牛を「たきぎの上に載せ、火をつけないで」おかせました(23)。そして、それぞれが自分の神に祈り、「火をもって答える神」(24)が本当の神であると言いました。初めに、バアルの預言者たちが「朝から真昼までバアルの名を呼んで」祈りましたが、何の答えも無かったので、祭壇の周りを踊り回りました(26)。やがて、更に大声で祈り、「剣や槍で血を流すまで自分たちの身を傷つけ」(28)はじめました。それでも「何の声もなく、答える者もなく、注意を払う者もなかった」(29)のです。

次に、エリヤの番となり、まず「彼はこわれていた主の祭壇を建て直し」(30)ました。エリヤは「ヤコブの子らの部族の数に従って十二の石を取っ」(31)て、「その石で彼は主の名によって一つの祭壇を築き」(32)ました。更に、エリヤは、「四つのかめに水を満たし、この全焼のいけにえと、このたきぎの上に注」(34)ぎ、それが何回も繰り返させました。こうして、祭壇も薪もいけにえの雄牛も水浸しになってしまいました。これは、これから起こる奇跡が、神によるものであることをはっきりと示すためでした。エリヤは、イスラエルの神こそ真の神であることが明らかにされ、主がイスラエルの民を真の神に立ち返らせて下さるようにと祈りました(36-37)。「心を翻して」(37)とは、イスラエルの民が悔い改め、真の神に立ち返るということです。

「すると、主の火が降って来て、全焼のいけにえ…を焼き尽くし」(38)てしまいました。「民はみな、これを見て、ひれ伏し」、「主こそ神です。主こそ神です」と告白しました(39)。イスラエルの民は、その奇跡を目の当たりにして、みな主に立ち返ったのです。これは、イスラエルにおける「信仰復興」(リバイバル)でした。エリヤが建て直した「主の祭壇」は、イスラエルの民の信仰復興のための祈りの祭壇だったのです。Cf.ヤコ5:16

 

エリヤは、「こわれていた主の祭壇を建て直し」(30)ました。これは、壊れてしまった神との関係を建て直すことです。すなわち、神に対する信仰、服従、献身をもう一度回復させることです。神との関係を建て直し、神に対する信仰、従順、献身を回復させましょう。また、エリヤは、天から火が降って来て、イスラエルの神こそ真の神であることが明らかにされ、主がイスラエルの民を真の神に立ち返らせて下さるようにと祈りました。天から聖霊の火が降って来て、イスラエルの神こそ真の神であることが明らかにされ、主が人々を真の神に立ち返らせて下さるようにと祈りましょう。

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