18.1.21.
エル・シャダイ : 全能の神
創世17:1-2
聖書に啓示されている神の御名の一つは、「全能の神」(エル・シャダイ)です。
1.アブラムに示された神の御名
アブラムが「九十九歳になったとき」、神はアブラムに現れ、
ご自身のことを「わたしは全能の神である」と言われました。
なぜ神は、アブラムにご自身を「全能の神」(エル・シャダイ)だと言われたのでしょう。
イシュマエルの誕生から、既に13年が経っていましたが(16:16、17:1)、
神から何の語りかけも働きもなく、未だに彼らに子どもは与えられていませんでした。
子孫が星の数、海辺の砂の数のようになると約束されてから、24年経っていました。
99歳のアブラムと89歳のサライに子どもが生まれることは、常識的には不可能でした。
それでも、神は、アブラムに「あなたは多くの国民の父となる」(4)と言われました。
そして、アブラムに「あなたの名はアブラハムとなる」(5)と言われました。
「アブラハム」は「多くの国民の父」という意味です。
アブラムとサライの間には、まだ子どもがいないのに、
自分のことを「アブラハム」(多くの国民の父)と言うようにと言われたのです。
また、神は、アブラハムの妻サライについても、「その名をサライと呼んではならない。
その名はサラ(王女)となるからだ」(15)と言われました。
そして、神は、サライを通して「男の子を与え」、「彼女は国々の母となり、
国々の民の王たちが、彼女から出る」と約束されました(16)。
それを聞いて、「アブラハムはひれ伏し」しましたが、「笑っ」てしまいました(17)。
100歳になるアブラハム、90歳になるサラに、
子どもが出来るなどということは不可能であり、信じられなかったからです。
このような全く不可能で絶望的な状況の中で、
神は、ご自身を「全能の神」(エル・シャダイ)だと言われたのです。
2.神は全能なるお方
① 神に不可能はない
「全能の神」とは、文字通り、「何でも出来る、不可能のない神」という意味です。
「全能の神」の「全能」(シャダイ)という言葉は、
創世記には6回登場します(17:1、28:3、35:11、43:14、48:3、49:24-25)。
そして、そのほとんどが、子孫がふえ広がるという約束の中で語られています。
老人になったアブラハムとサラに、子どもが生まれるということは、不可能でしたが、
神は、約束通りに、イサクを与えました。
その後、イサクにも(28:3)、イサクのヤコブにも(35:11)、
神は、ご自身を「全能の神」として示し、子孫を増し加えると約束されました。
そして、その約束通りに、子孫が与えられて、増え広がっていきました。
「全能の神」(エル・シャダイ)は、自然界の法則や秩序に縛られることのない方です。
なぜなら、「全能の神」は、この宇宙と世界を無から造られた創造者だからです。
神は、ご自身の目的、御心、計画を成し遂げるために、
自然の法則や秩序、人間的な常識を超える力を持っておられます。
聖書には、人間の考えをはるかに超えた神の奇跡が沢山記されています。
人間は、これらの奇跡を信じ易くするために、様々な人間的な解釈をし、
知性で理解出来るようにする試みをしてきました。
しかし、それは、「全能の神」に対する人間の高慢です。
「全能の神」を人間の小さな頭で理解することなど出来ません。
「全能の神」(エル・シャダイ)は、不可能を可能にすることの出来る神なのです。
Cf.創世18:14。エレミヤ32:27。ルカ1:37。
② 全き者として歩む
「全能の神」は、「あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ」(1)と命じました。
アブラハムは、「全能の神」の前に、「全き者」として歩むことが求められました。
「全き者であれ」とは、「間違いや失敗や罪を犯さない、
完璧な者となれ」という意味ではありません。誰も完璧な人間になることは出来ません。
「全き者であれ」とは、「全能の神」(エル・シャダイ)を100%信じ、信頼し、
神に従う者になれということです。
アブラハムにとって、「全き者」であるということは、
彼らに子どもが生まれると言われた神をその通りに信じて生きるということです。
この後、すぐに、アブラハムは、「全能の神」の約束を信じて、
神との契約のしるしとして、「その日のうちに」、自分自身も割礼を受け、
イシュマエルも全ての男子にも割礼を受けさせました(23)。
また、自分の名を「アブラハム」(多くの国民の父)と呼ぶようになりました。
ノアも「全き人」として歩みました。創世6:9。
その当時、大雨が降る気配は全くなく、
大洪水が来るということは全く考えられないことだったのでしょう。
しかし、たとえそうであっても、ノアは、神の言葉を100%信じ、従いました。
ノアは、人々からどんなにあざけられ、笑われても、ノアは箱舟を造り続けたのです。
状況がどうであっても、人が何と言っても、自分がどう感じたとしても、
それらに関係なく、「全能の神」(エル・シャダイ)を 100%信じ、信頼し、
この神に従って歩むということが、「わたしの前を歩み、全き者であれ」ということです。
「全能の神」(エル・シャダイ)という御名は、どのような不可能な状況の中でも、
神は、約束されたことを必ず成し遂げて下さる方であるということを示す名なのです。
私たちの目には、絶望的、不可能に見えることがあっても、神に不可能はありません。
常識的には、絶望的、不可能に見え、諦めるしかないような時、
お金、仕事、家族、健康、人間関係など、現実的な様々な問題の中でも、
神が「全能の神」(エル・シャダイ)であることを信じ、信頼し、従いましょう。
「全能の神」(エル・シャダイ)は、人知を超えた事をして下さいます。エペソ1:19。