キリスト誕生の知らせ
ルカ2:1-20

21.12.19.
キリストは、「ベツレヘム」で生まれ、「飼葉おけ」に寝かされました。そして、キリスト誕生の知らせは、「羊飼い」たちに知らされました。
1.キリストは旧約の預言の通り来られた
キリストが生まれたのは、ローマ帝国の「皇帝アウグスト」が「全世界の住民登録をせよ」と命令した時でした(1)。この命令に従って、人々は「住民登録」をするために、自分の出身地へと帰りました。ヨセフはイスラエル北部の「ナザレ」(4)に住んでいましたが「ダビデの家系」だったので、彼の出身地「ユダヤのベツレヘムというダビデの町」へと向かいました(4)。ヨセフの婚約者マリヤも一緒に行きました(5)。
「ベツレヘム」は、イスラエル南部にある町です。「ナザレ」から約120km離れています。今日のように道も整備されてなく、便利な交通手段もありませんでしたから、お腹が大きくなったマリヤを連れての旅は、大変なものだったでしょう。ヨセフとマリヤが「ベツレヘム」に行ったのは、旧約聖書の預言の成就だったのです。
旧約聖書には、キリストが「ベツレヘム」で生まれることが預言されていました(ミカ5:2)。神は、「皇帝アウグスト」の命令を用いて、キリストが「ベツレヘム」で生まれるという預言を成就させたのです。「皇帝アウグスト」の命令がなければヨセフとマリヤは「ベツレヘム」に行きませんでした。もしマリヤが「ナザレ」でイエスを出産していたら、預言は実現しなかったでしょう。神は、ご自身のご計画を実現させるために、この世の王や政治をも用いられるのです。
6-7節には、「マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ」とあります。この「満ちて」という言葉は、「神の時がついに満ちた」という意味があります。キリストは、神の時が来たので、預言の通り「ベツレヘム」で生まれたのです(ガラ4:4)。神は、この世界の様々な人々、状況や出来事を用いて、ご自身のご計画を実現されます。同じように、神は、私たちの人生の背後でも働いています。そして、様々な状況や人々を通して、私たちの歩みを導いておられるのです。
2.キリストは死ぬためにへりくだって人間となって来られた
ヨセフとマリヤが「ベツレヘム」に来た時、「彼らのいる場所」(7)がありませんでした。「ベツレヘム」の町は「住民登録」のためにやって来た人々で混雑していたのでしょう。聖書によると、キリストは「布にくる」まれて「飼葉おけに寝かされた」(7)とあります。このことから、キリストは「家畜小屋」で生まれたと考えられます。当時の家畜小屋は、岩を掘って作った洞窟でした。イエスが寝かされた「飼葉おけ」も、石で作られたものでした。「キリスト」とは「油注がれた者」という意味で、「王」を指す言葉です。しかしキリストは、立派な宮廷ではなく、暗く汚く臭い家畜小屋に生まれ、柔らかいフワフワのベッドではなく、藁がチクチク刺す「飼葉おけ」に寝かされたのです。
これは、「キリストのへりくだり」を表しています。キリストは神なのに、人間の姿となり、貧しくなって来られたのです(ピリ2:6-8、Ⅱコリ8:9)。いと高き天におられた神の御子キリストは、この地上にまで下って来て下さいました。何の汚れもない聖なるお方が、罪に汚れたこの世界に来て下さいました。神の御子がへりくだり、私たち人間と同じ姿になって来て下さったのです。それは、十字架にかかって死ぬためでした。死ぬためには、肉体が必要だったのです。
キリストは、私たち人間を罪と死と滅びから救い出すために、人間の姿となり、十字架にかかり、死んで下さったのです(ヘブ2:14-15)。キリストが洞窟の家畜小屋に生まれ、「布にくる」まれ、石の「飼葉おけ」に寝かされたことは、キリストの死を暗示するものでもあったのです。キリストは、十字架にかかって死んだ後、「布にくる」まれ、岩を掘って作った洞窟の墓に入れられ、石の棺に寝かされたからです。神は、見たことも、聞いたことも、考えたこともないことをして下さいます(Ⅰコリ2:9)。
3.キリストは罪人を救うために来られた
キリストが生まれた夜、「ベツレヘム」の野原では、「羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守って」(8)いました。すると突然、御使いが現れて、キリストの誕生を告げました(ルカ2:11-12)。キリストの誕生が最初に知らされたのは、王や身分の高い者たちではなく、「羊飼いたち」でした。
「羊飼いたち」は、罪人と言われ、人々から見下されていました。なぜなら、「羊飼いたち」は、羊を飼っていたため、安息日を守るなど、様々な律法を守ることが出来なかったからです。「羊飼いたち」は、安息日でも、羊たちに餌や水を与えたり、病気や怪我をした時は手当をしたり、迷い出た羊を探し回らなければなりませんでした。ですから、「羊飼いたち」の言うことは信用されず、裁判の証言も許されませんでした。
なぜ、キリストの誕生の知らせが、このような身分が低く、見下され、信用されない「羊飼いたち」に知らされたのでしょう。なぜ、もっと社会的に影響力のある人たち、政治家や宗教的指導者、有名な人、お金持ちに伝えられなかったのでしょう。この「羊飼いたち」は、私たち「罪人」の代表だったのです。キリストの誕生が最初に「羊飼いたち」に知らされたのは、キリストが「罪人」を救うために来られたことを示すためだったのです。キリストは、「羊飼いたち」のような罪人を救うために来られました(マタ9:13、Ⅰテモ1:15)。
神はこの世の「愚かな者」、「弱い者」、「取るに足りない者」、「見下されている者」を選ばれました(Ⅰコリ1:26-29)。
「羊飼いたち」は、キリストを見つけ出した時、喜びに満たされたでしょう。それで、「羊飼いたち」は、「神をあがめ、賛美しながら帰って行った」(20)のです。キリストは、今もご自分が住まわれる場所を求めておられます。「羊飼いたち」のように、キリストのもとに行き、キリストを信じ、迎え入れましょう。
Filed under: 伊藤正登牧師