17.08.13

ツァレファテの女の信仰

Ⅰ列王記17:8-16

ツァレファテの女の話は、預言者エリヤが貧しい人のパンを取り上げるような厳しい話に見えますが、実は神様の愛と恵みが満ちている話なのです。私たちが神様の恵みを受けるために必要な信仰を学びましょう。

1.神様の力は私たちの弱さの中に完全に現れる

神様はエリヤを養うようにと貧しいやもめを用いられました。しかも最後の食べ物を神様の働きのためにささげるようにと、みことばを与えられました。それは彼女の弱さの中に、神様の偉大な力が完全に現れるためでした(Ⅱコリント12:9)。

彼女がみことばに従ったとき、彼女の貧しさは神様の奇跡によって克服され、彼女はその粉と油を用いて調理し、彼女の家族もエリヤも長い期間それを食べて生き延びることができました。

私たちの弱さは神様の栄光を現わすためです。神様の力が私たちの弱さの中に完全に働き、私たちは滅びないで守られるのです。

生まれつきの盲人が盲人に生まれついたのは、神様のわざが現れるためだとイエス様がおっしゃいました(ヨハネ9:3)。

2.恐れないで神様を信頼しよう

しかし、わずかしかないものを神様にささげよといわれても、心配になってしまいます。もし奇跡が起きなければ死んでしまうという怖さです。

大事なことは神様を信頼することです。神様は私たちから奪うためにささげよといわれたのではなく、豊かに与えるために信仰のチャレンジを与えておられるのです。
思い煩いは神様にゆだねましょう(Ⅰペテロ5:7)。

アブラハムにとってイサクは最愛の息子でしたが、神様はイサクをささげよと言われましたが(創世記22:2)、神様は死者を甦らせることができると信頼しました(ヘブル11:17-19)。神様は私たちの信仰を見たいと願っています。

信仰がためされ、泣きながらでも主に従うなら、喜びながら刈り取ることになるのです(詩篇126:5-6)。

3.ささげるというのは、主の働きのために用いること

神様は彼女に、パンではなくて、尽きない粉と油を与えられました。そして、彼女はその粉と油をささげたのではなく、調理してパンを作り、そのパンをささげました。神様は彼女が調理の奉仕を続けることを願っておられました。

また作ったパンは彼女のためではなく、エリヤを養うためでした(Ⅰ列王記17:9)。エリヤを助けるのはイスラエルのためであり、世界の祝福のためであり、神の国のためでした。神の国のために働くなら、必要なものは与えられるのです(マタイ6:33)。

彼女は粉と油からパンを作り続け、預言者エリヤに与え続けることによって、彼女と家族もそれを食べ続けることができました。同様に私たちに永遠に尽きない命のパンであるイエス様が与えられたのは、私たちのためではく、神様のお働きのためなのです(エペソ2:8-10)。私たちが主に仕え続け、奉仕し続け、神の国のために生き続けるなら、私たちの生活も祝福されるのです。

私たちが神の国のために働くなら、その働きが祝福されるだけでなく、私たちの必要も満たされ、生活が守られるのです。

私たちはそれぞれ弱さを持っていて、その弱さのために人生が台無しになってしまいそうになることがあります。しかし神様は、その私たちの弱さの中に、神様の力を完全に現わし、私たちを助けて下さいます。しかしそれは、私たちの生活の祝福が最終目的ではなく、神様のお働きが前進するためです。ですから、私たちは神様に信頼し、神様のお働きのために、自分の大切にしているものも用いていきましょう。神様は必ず大きな祝福で応えて下さいます。そして私たちの人生も守られ祝福されるのです。