20.12.20

ルカ2:1-20には、イエス・キリストの誕生の時の様子が記されています。ここに3つのキーワードがあります。「ベツレヘム」、「飼葉おけ」、「羊飼い」です。これらの言葉には、どのような意味があるのでしょうか。

1.ベツレヘム : キリストは旧約の預言の通り来られた

イエス・キリストが生まれたのは、ローマの「皇帝アウグスト」が「全世界の住民登録をせよ」と命令した時でした(1)。この命令に従って、人々は「住民登録」をするために、自分の出身地へと向かいました。この時、ヨセフは、イスラエル北部の「ガリラヤの町ナザレ」(4)に住んでいましたが、「ダビデの家系」であるため「ユダヤのベツレヘムというダビデの町」へと向かいました(4)。ヨセフの婚約者マリヤも一緒に行きました(5)。

しかし、ヨセフとマリヤがベツレヘムに行ったのは、単に「皇帝アウグスト」による「住民登録」の命令があったからではありません。キリストがベツレヘムで生まれることは、旧約聖書で預言されていたからです(ミカ5:2)。ですから、「皇帝アウグスト」の命令は、キリストがベツレヘムで生まれるという旧約聖書の預言を成就させるものとなったのです。「皇帝アウグスト」の命令がなければ、ヨセフとマリヤはベツレヘムに行きませんでした。マリヤがナザレでイエスを出産していたら、旧約聖書の預言は実現しませんでした。6-7節に「マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ」とあります。この「満ちて」という言葉は、「神の時がついに満ちた」という意味があります。キリストは、神の時が来たので、ベツレヘムで生まれました。Cf.ガラ4:4

神は、この世界の様々な人や出来事を用いて、ご自身のご計画を実現されます。神は、私たちの人生の背後でも働いています。そして、様々な状況や人々を通して、私たちの歩みを導いているのです。私たちの人生には、理解出来ない事や、受け入れられないような事が起こります。しかし、神は、全てのことを働かせて益として下さるのです(ロマ8:28)。

2.飼葉桶 : キリストはへりくだって来られた

ヨセフとマリヤがベツレヘムに来た時、ベツレヘムには「彼らのいる場所」(7)がありませんでした。聖書によると、キリストは、「布にくる」まれて「飼葉おけに寝かされた」(7)とあります。このことから、キリストは「家畜小屋」で生まれたと考えられます。当時の家畜小屋は、岩を掘って作った洞窟でした。イエスが寝かされた「飼葉おけ」も、石で作られたものでした。

「キリスト」とは「油注がれた者」という意味で、「王」を指す言葉です。王なるキリストは、立派な宮廷ではなく、暗く汚く臭い家畜小屋に生まれ、柔らかいフワフワのベッドではなく、藁がチクチク刺す「飼葉おけ」に寝かされたのです。これは、「キリストのへりくだり」を表しています。神の御子キリストは人間となり、貧しくなって来られたのです(ピリ2:6-8Ⅱコリ8:9)。それは、私たちを滅びから救うために、十字架にかかって死ぬためでした(ヘブ2:14-15)。

キリストが洞窟の家畜小屋に生まれ、「布にくる」まれ、石の「飼葉おけ」に寝かされたことは、イエスの死を暗示するものでもありました。イエスは、十字架にかかって死んだ後も、「布にくる」まれ、岩を掘って作った洞窟の墓に入れられ、石の棺に寝かされたのです。

王なるキリストが家畜小屋で生まれ、「飼葉おけ」に寝かされるということは、誰も全く考えていなかったようなユニークな方法でした。神は、私たちの人生をもユニークな方法で導かれることがあります。Cf.イザ55:8-9。神は、見たことも、聞いたことも、考えたこともないことをして下さいます(Ⅰコリ2:9)。

3.羊飼いたち : キリストは罪人を救うために来られた

キリストが生まれたその晩、ベツレヘムの野原では、「羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守って」(8)いました。すると突然彼らの前に、御使いが現れて、キリストの誕生を告げました(ルカ2:11-12)。キリストの誕生が最初に知らされたのは、王や身分の高い者たちではなく、「羊飼いたち」でした。

「羊飼いたち」は、当時、社会の底辺にいた貧しい人たちでした。また、「羊飼いたち」は、罪人と言われ、人々から見下されていました。なぜなら、「羊飼いたち」は、羊を飼っていたため、安息日を守るなど、様々な律法を守ることが出来なかったからです。ですから、「羊飼いたち」の言うことは信用されず、裁判の証言も許されませんでした。

なぜ、神は、このような「羊飼いたち」を選ばれたのでしょうか。なぜ、神は、もっと社会的に影響力のある人たち、政治家や宗教的指導者、有名な人、お金持ちに伝えられなかったのでしょうか。この「羊飼いたち」は、私たち「罪人」の代表だったのです。神は、「知恵ある者」、「強い者」、「権力者」、「身分の高い者」ではなく、「愚かな者」、「弱い者」、「取るに足りない者」、「見下されている者」を選ばれました(Ⅰコリ1:26-29)。キリストの誕生が最初に「羊飼いたち」に知らされたのは、キリストが「罪人」を救うために来られたことを示すためだったのです。キリストは、「羊飼いたち」のような「罪人」を救うために来られました(マタ9:13ルカ19:10)。「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られ」(Ⅰテモ1:5)ました。

 

「羊飼いたち」は、御使いからのメッセージを素直に信じ、すぐに応答しました。「出来事」という言葉は「レーマ」と言い、「神から直接語られた言葉」を意味します。「羊飼いたち」は、御使のメッセージを、神からのメッセージとして受け止めたのです。ついに「羊飼いたち」がキリストを捜し当てることが出来た時、「羊飼いたち」は、喜びに満たされたことでしょう(20)。Cf.ヨハ11:40。「羊飼いたち」のように、単純で純粋な信仰をもって、主の導きに従いましょう。そして、神の御業と栄光を見て、神を賛美する者とならせていただきましょう。

Filed under: 伊藤正登牧師