ペテロの再献身

ヨハネ21:1-23

21.4.11.

ペテロが「私は漁に行く」(3)と言うと、他の弟子たちも一緒に漁に行きました。イエスがペテロを召された時、ペテロは「網を捨て置いて」(マル1:18)従いました。ここでペテロは元の漁師に戻ってしまいましたが、イエスはペテロを再献身へと召されたのです。

1.イエスはやり直させて下さる

弟子たちは、一晩中漁をしていましたが、魚は全く捕れませんでした。イエスは彼らに「舟の右側に網を下ろしなさい。そうすれば、とれます」(6)と言われました。弟子たちがその通りにすると、網を引き揚げられないほどの大量の魚が捕れました。その時、ヨハネがイエスであることに気付き、ペテロに「主です」(7)と伝えました。するとペテロは、「上着をまとって、湖に飛び込」(7)み、イエスの元に向かいました。岸に着くと、イエスがパンと魚を焼いて用意しておられました。弟子たちは、イエスと共に朝の食事をしました。

食事が終わると、イエスはペテロに「あなたはわたしを愛しますか」(15)と問い掛けました。それも、同じ質問を3度も繰り替えされました。ペテロは、イエスが同じ質問を3度も繰り返されたので「心を痛め」(17)てしまいました。最後の晩餐の時、ペテロはイエスのためなら死んでも構わないと宣言しました(ルカ22:33)。しかし、イエスが捕らえられると、ペテロは、イエスを見捨てて逃げてしまったのです。その後、ペテロはカヤバの官邸で、イエスが取り調べを受けている様子を見ていましたが、周りの人たちから3度イエスの弟子であることを指摘され、それに対して3度イエスを知らないと否定してしまったのです(ルカ22:54-62)。ですから、ペテロは、「あなたはわたしを愛しますか」と3度も問われた時、3度もイエスを否定してしまったことを思い出し、とても心が痛んだのです。

しかし、イエスは、決してペテロを責めていたのではありません。イエスは、ペテロにやり直す機会を与えられたのです。すなわち、3度イエスを「知らない」と否定したペテロに、3度イエスに「愛します」と告白する機会を与えて下さったのです。私たちも弱さ、愚かさのゆえに失敗したり、過ちを犯してしまうことがあります。しかし、主は、私たちの弱さを知っておられ、私たちを責めたりしません。主は、私たちにもやり直す機会を与えて下さるのです。

2.イエスは愛を求めておられる

イエスがペテロに問い掛けられたのは、イエスに対する愛についてだけでした。この時のペテロの答えは、とても謙遜なものでした。3度とも「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです」と答えています。この時、イエスが1度目と2度目に「愛しますか」と問われた言葉には、ギリシヤ語の「アガペー」の動詞形の「アガパオー」が使われていました。「アガペー」は、「一方的な愛無条件の愛無償の愛神の愛」を表します。イエスは、ペテロに「何があっても、あなたは私を愛しますか」と問い掛けたのです。

それに対して、ペテロが「私があなたを愛することは」の「愛する」という言葉は、ギリシヤ語の「フィリア」の動詞形である「フィレオー」で、「友情の愛」でした。イエスが「アガペーの愛」(神の愛)で問い掛けたのに、なぜペテロは「フィリアの愛」(友情の愛)で答えたのでしょうか。ペテロは失敗によって、自分には「アガペーの愛」がないことが分かったのです。それで、イエスの「アガパオー」の問い掛けに、ペテロは「フィレオー」で答えたのです。それは、失敗によって自分の弱さを知ったペテロの謙遜を表す言葉だったのです。

イエスが3度目にペテロに「あなたはわたしを愛しますか」と問われた時は、「アガパオー」ではなく、ペテロと同じ「フィレオー」を用いられました。すなわち、イエスは、ペテロの愛を受け入れたのです。イエスは、私たちにもご自身に対する愛を問い掛けておられます。イエスが私たちに問われることは、私たちがイエスのために何かをすることではなく、ただイエスを愛することだけなのです(マコ12:30)。

3.イエスは働きに召して下さる

ペテロが3度「愛します」と答えた後、イエスはそれぞれ言われました。「わたしの小羊を飼いなさい」、「わたしの羊を牧しなさい」、「わたしの羊を飼いなさい」。これらは、イエスを「信じる者たちの群れ、教会を牧するように」という意味です。イエスは、ペテロに教会を任せ、信者の群れを養い導くようにと言われたのです。しかしペテロは、かつてイエスを否定してしまうという大きな失敗を犯しました。そんなペテロに対し、イエスは大きな仕事を任されたのです。ペテロが立ち直るためには、イエスの赦しと愛だけではなく、イエスの信頼も必要でした。イエスは、自信を失っていたペテロに、改めて使命と任務を委ねられたのです。

イエスは、初めからペテロを主の働きのために召しておられました。最後の晩餐の席でも、イエスは、ペテロの裏切りを予告した後、「立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」と言われました(ルカ22:31-32)。イエスは、ペテロの失敗にだけ目を留めていたのではなく、ペテロの将来に目を向けておられたのです。主は、私たちの不完全さや失敗にだけ目を留めておられるのではなく、その先の回復、さらに将来の用いられる姿を見ておられるのです。そして、敢えて主の大切な働き、大きな働きを委ねて下さるのです。

ペテロは、ヨハネのことが気になり、「主よ。この人はどうですか」(21)と尋ねました。それに対して、イエスは「それがあなたに何のかかわりがありますか」と言い、再び「あなたは、わたしに従いなさい」と語られました(22)。人がどうであっても、自分が主に従うということが大切なのです。

 

この後、立ち直ったペテロは、全力で福音を伝え、教会を導きました。そして、ネロ皇帝の時代、ローマで捕らえられ、殉教したと言われています。弱く、愚かで、失敗するような私たちをも主は立ち直らせ、用いて下さいます。ペテロのように、主の招きに応答し、従っていきましょう。

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