マリヤの信仰
ルカ1:26-55

21.12.5.
ある日突然、マリヤの前に御使いガブリエルが現れて言いました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」(28) マリヤは驚き、「これはいったい何のあいさつかと考え込」(29)み(思い巡らし)ました。その後に続く御使いガブリエルのメッセージは、さらに驚くべきものでした。マリヤは、そのメッセージをどのように受け止め、応答したのでしょうか。
1.信仰をもって主の言葉を受け入れる
御使いガブリエルは、マリヤが「男の子」(31)を産むと告げました。そして、その子は「いと高き方の子」(32 )と呼ばれ、「ダビデの王位」(32 )が与えられ、「その国は終わることがありません」(33)と言われました。マリヤから生まれる「男の子」が、「神の御子キリスト(王)」であり、彼が「永遠の王国(神の国)」を築き上げるというのです。それ以上に驚くべきことは、マリヤに子どもが生まれるということでした。マリヤはまだ結婚していなかったので、子どもが生まれることはあり得ませんでした。
当然、マリヤはガブリエルに「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに」(34)と答えました。この「どうして」とは、「なぜ(Why)」ではなく「どのように(How)」という意味です。マリヤは「なぜ、そんなことが起こるのでしょう」と疑ったのではなく、「どのようにして、それが起こるのでしょう」と答えたのです。マリヤは、ガブリエルが語った神からのメッセージを信仰をもって受け止めたのです。そして「どのようにしてそれが起こるのでしょう」と、期待したのです。
ガブリエルは「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます」(35)と答えました。ガブリエルは、マリヤの質問に対して、何も具体的な方法は説明しませんでした。ガブリエルの答えは、ただ「聖霊」が臨むことによって、「いと高き方の力」すなわち「神の力」が与えられるということとだけでした。Cf.使1:8。そして、最後に「神にとって不可能なことは一つもありません」(37)と言いました。聖霊が臨み、神の力が働かれることによって、不可能は可能になるということです。
時々、私たちは、神に「どのようにしてですか」と尋ねることがあります。「どのようにして必要が満たされるのか。どのようにして癒されるのか。」 しかし、私たちが知るべきことは、「どのようにして成されるのか」ではなく、「どなたが成されるのか」ということなのです。大切なことは、知ること、理解することではなく、全能の神を信じることです。不可能に思えても、聖霊が臨み、神の力が働かれると、可能になるのです。Cf. ゼカ4:6。
2.信仰をもって主の言葉に従う
マリヤが「みごもって、男の子を産」むことは、大きな危険の伴うことでした。当時は、結婚していないのに妊娠することは、不貞の罪を犯したとみなされました。人々から非難され、最悪の場合は死刑になってしまうのです。マリヤはヨセフと結婚し、子どもを産み、幸せな家庭を築くことを夢見ていたことでしょう。しかし、今、ガブリエルが告げたことは、マリヤの夢を打ち砕くものでした。
しかし、マリヤは、神に「なぜ私なのですか。他の人にやらせて下さい」とか、「なぜ今なのですか。結婚してからでも遅くはないではないですか」と言って、神に反発したり、色々な言い訳を言って、神に従うことから逃げたりしませんでした。ただマリヤは言いました。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身に成りますように。」(38) これは、死を覚悟した決断でした。全てを神に委ね、神の言葉に従おうとしたのです。
マリヤの信仰は「人間中心の信仰」ではなく、「神中心の信仰」だったのです。「人間中心の信仰」は、自分の願いを実現させること第一に求める「ご利益信仰」です。「神中心の信仰」は、神の御心が実現することを第一に求める信仰です。マリヤは、自分の願いが実現することを求めたのではなく、神の御心が実現することを求めたのです。
神は私たちの願いを聞き、私たちの必要を満たして下さるお方であり、私たちは神に私たちの願いや必要を大胆に祈り求めることが出来ます。しかし、私たちが第一に求めるべきものは、「神の国とその義」(マタ6:33)です。自分の利益や自己実現、この世のものを求めるだけなら、次第に信仰はブレていきます。やがてその信仰は失われ、神から離れてしまい、祝福を失ってしまうのです。自分の願いが実現することが信仰の動機だったのに、それがかなえられないからです。
マリヤは、たとえ理解出来ないことでも、受け入れ難いことでも、犠牲を伴うことでも、「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身に成りますように」と言って、神の御心の実現を求める「神中心の信仰」を持ち、自分を神の言葉に従わせたのです。
私たちは、どのような信仰を持っているでしょうか。理解出来ない、受け入れ難い、犠牲を伴うメッセージが語られるかもしれません。自分の描いていた夢が打ち砕かれたり、痛みを生じることになるかもしれません。しかし、神からのメッセージを拒んだり、神に反発したり、色々な言い訳を言って、神に従うことから逃げたり、自分に都合良く解釈して、御言葉に不従順になってはいけません。マリヤのように、「神中心の信仰」を持ち、全てを神に委ね、神の言葉に従うのです。マリヤは、神の言葉を信仰をもってそのまま受け入れ、従おうとしました。マリヤは、その信仰のゆえに「恵まれた」者と呼ばれたのです。主の御言葉をそのまま信じ、従うことの出来る人は幸いです。マリヤのように、主の御言葉を信じ切り、従う者となりましょう。ルカ1:45。また、聖霊に満たされ、神の力を受け、不可能を可能とさせていただきましょう。
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