180422
ヤコブの夢
創世記28:10-22
私たちはときどき最悪といえる状況の中を歩み、自分がみじめで悲しく感じられることもありますが、霊の目を開いてみると、実は神様の愛と祝福に満ちているのです。ヤコブの見た夢を通して、神様の素晴らしい守りと助けと祝福に気づき、最悪の状況の中でも感謝をささげる者となりましょう。
1.孤独でみじめに感じても神様は共におられる
ヤコブは父イサクをだまして祝福を奪い取ってしまいました。しかし、このことで兄の怒りを買って遠いところへ出て行かなければならなくなりました。父を欺いたことへの後悔、兄からの怒りに対する恐れ、両親から引き離された悲しみ、一人で旅をする孤独、そして、将来に対する不安とで、ヤコブも大変辛い状況でした。何よりも、神様の祝福を受けたはずの自分が、非常にみじめな状況になっているということでした。神様の祝福はどこへ行ったのかと悲しんでいたことでしょう。
旅の途中、日が暮れて、ヤコブは石を枕に寝ました。そのとき神様は夢によって、御使いたちの働く姿をヤコブに見せて下さり、ヤコブの人生を祝福し、守りと繁栄、さらに子孫の繁栄も約束してくださいました。
私たちがみじめで孤独に感じるときや苦しみのときにも、神様が共におられるのです(詩篇91:14-16)。霊の目を開きましょう。神様は決して私たちを見捨てないのです(へブル13:5、マタイ28:20、申命記31:7-8、エレミヤ29:11)。
2.神の家は私たちのすぐそばにある
ヤコブの見た夢は、天から地に向けられているはしご(階段)を、御使いたちが上り下りしているものでした。神様を信じる者たちを助けるために、神様の方から、天からのはしごを用意してくださり、私たちの祈りを御使いたちがはしごを上って神様に届け、また神様からのお応えをはしごを使って私たちに届け、私たちに仕えているのです(ヘブル1:14、ダニエル9:23)。
このはしごはイエス様を意味しています(ヨハネ1:51、14:6、14:13-14)。イエス様は神様がお遣わしになった御子で、人々はイエス様を通して救われ、私たちはイエス様の御名によって祈り求め、イエス様によって御心を知ることができるのです。
また、この場所が、天の門、神の家(ベテル)であることをヤコブは知りました。イエス様こそ天の門であり(ヨハネ10:9)、神の家(神殿・神の宮)(ヨハネ2:19-21)なのです。イエス様の御名によって祈る場所は神の家(イザヤ56:7)であり、教会も神の家です。自宅でもどこでも主の御名によって祈るなら神の家となれるのです。
3.神様の助けに感謝し礼拝しよう
夢を通して神様が共におられ、神様に守られていることを知り、希望が与えられたヤコブは、神様に感謝し、礼拝をささげました。そして、収入の十分の一をささげると約束しました。
私たちの目が開かれ、神様が共におられることや、神様の助けを知ると、神様に感謝し、神様を礼拝するようになります。神様からたくさん受けていることに気づくだけでは不十分です。感謝をもって喜んで捧げ、心から礼拝するようになることが本当に目の開かれた人なのです。私たちも受けるばかりではなく、ささげる人になりましょう。
私たちは状況が最悪でも、悲しみに沈むことなく、霊の目を開きましょう。神様が共におられ、助けて下さり、祈りを聞かれていることに気づきましょう。それだけでなく、神様に感謝し、礼拝する者となりましょう。そのような者が神様と共に生きる者なのです。
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