ヤコブの祭壇2

創世35:1-15

22.7.3.

主は、ヤコブに「祭壇を築きなさい」(1)と語られました。その祭壇には、どのような意味があったのでしょうか。

(前回の復習)

1.信仰の原点に立ち返るための祭壇

① ヤコブの生い立ち(創25:20-28)

② 長子の権利を奪う(創25:29-34)

③ エサウの祝福を奪う(創27:1-40)

④ ハランへの逃避(創27:41-28:5)とベテルでの主の現れ(創28:10-22)

ヤコブは、ベテルで初めて主に出会い、共におられる主に対する信仰が生まれました。ベテルでの経験は、真の信仰を持つようになった信仰の原点の時だったのです。ベテルに戻って祭壇を築けという主の命令は、ヤコブが初めて主に出会い、主との関係を持った信仰の原点に戻ることだったのです。私たちも、もう一度、信仰の原点、初心に戻りましょう。黙2:4-5。初めの愛、初めの信仰、初めの情熱、初めの決心に戻るのです。

2.自分を聖別するための祭壇

ヤコブは、「自分の家族と、自分といっしょにいるすべの者とに」(35:2)と命じました。「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、着物を着換えなさい。」(35:2)

① ハランでヤコブに与えられた家族(創29:1-30:24)

ハランに着いたヤコブは、叔父ラバンの家で暮らすようになりました。「ラバンにはふたりの娘があった。姉の名はレア、妹の名はラケルであった。」(16)「ヤコブはラケルを愛していた」(18)ので、「七年間」(18)の労働を条件に、ラケルと結婚することになりましたが(20)、ラバンは、レアを与えたのです(23)。それで、ラケルのために、「もう七年間」働かなければなりませんでした(27)。ヤコブは、盲目の父イサクを騙して、兄エサウから祝福を奪い取ってしまいましたが、今度は自分が騙され、自分の蒔いた種を刈り取ることになってしまいました。その間、ヤコブには、レアと女奴隷ジルバ、ラケルと女奴隷ビルハによって、11人の息子と1人の娘が生まれました(29:31-30:24)。

② ハランでヤコブに与えられた財産(創30:25-43)

ヤコブは、故郷へ帰りたいと思い、ラバンに妻子と帰らせて欲しいと願いました(25-26)。ラバンも、これまでのヤコブの働きを認めて言いました。「私はあなたのおかげで、主が私を祝福してくださったことを、まじないで知っている。」(27) ラバンは「まじない」もしていたのです。ヤコブは、ラバンに「黒毛」の羊や「ぶち毛やまだら毛」の羊とやぎを報酬としてくれたら、更にラバンのもとで働くことを約束しました(32)。ラバンは、ヤコブに同意し、「あなたの言うとおりになればいいな」(34)と返事をしました。するとラバンは、ヤコブの取り分となる羊とやぎを取り分けて、「息子たちの手に渡し」(35)、ヤコブから「三日の道のりの距離」(36)を置いたのです。ラバンは、ヤコブに取り分を与えず、自分の家畜が減ってしまわないようにしたのです。結局、ヤコブの群れは無く、ヤコブはラバンの群れの世話をすることなりました。ここで再び、ヤコブは、ラバンに欺かれることになりました。しかし、主は、ヤコブを祝福し、ヤコブは多くの群れを持つようになりました(43)。

③ ラバンの家を出る(創31:1-21)

主は、ヤコブに「あなたが生まれた、あなたの先祖の国に帰りなさい」(3)と語られました。ヤコブは、ラバンに何も言わず、家族と財産を伴い、ハランを出て行きました(17-20)。その時、「ラケルは父の所有するテラフィムを盗み出し」(19)てしまいました。「テラフィム」とは、人の形をした偶像で、まじないや霊媒に使われていました。ヤコブが20年間、異教と偶像礼拝の地ハランに滞在している間、家族の中に異教の神々が入り込んでしまっていました。ヤコブのしもべたちの中にもハランから携えて来た偶像の神々がありました(35:4)。だから、ヤコブは「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、着物を着換えなさい」と命じたのです。ヤコブ一族は、約束の地カナンに帰る前に、偶像を取り除き、聖別され、神の民として相応しく、新しい人にならなければならなかったのです。聖別するとは、「神のために特別に取り分け、ささげる」ということです。ですから、ヤコブがベテルで築いた祭壇は、ヤコブたちが神の民として、偶像を捨て去り、自分自身を聖別して、主にささげるための祭壇だったのです。

 

主は、私たちにも「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、着物を着換えなさい」と命じておられます。まず、私たちの中からも「偶像」を取り除かなければなりません。偶像とは、自分が神以上に愛しているもの、大切にしているものです。例えば、お金、仕事、財産、愛する人、人生の夢や目標、趣味ややりたい事などです。神を愛し、慕い求め、神に従い、仕えるのではなく世のものを愛し、慕い求め、世のものに従い、仕えてはいないでしょうか。コロ3:5。また、偶像礼拝に伴うものとして挙げられているものが、「不品行」です。不品行とは、同棲、婚前交渉、不倫、ポルノなど性的な罪であると言えます。この世の価値観、考え方、生き方が入り込んでしまってはいないでしょうか。ヘブ12:14Ⅰテサ4:3-8Ⅰコリ6:9-11ロマ12:1-2。私たちも神の民として、偶像となるものを捨て去り、自分自身を聖別し、主にささげましょう。

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