20.7.19.
12章では、「飢饉」が問題となりましたが、13章では、「豊かさ」が問題となりました。アブラムは、この問題をどのように解決していったのでしょう。
1.アブラムは信仰によって選択した
2節に「アブラムは家畜と銀と金とに非常に富んでいた」とあります。主は、アブラムを祝福すると約束していましたが、その約束が実現したのです。ロトも祝福され、「羊の群れや牛の群れ、天幕を所有」(5)するようになりました。アブラムとロトは、それぞれ多くの家畜の群れを持つようになりました。しかし、「その地は彼らがいっしょに住むのに十分では」(6)ありませんでした。「彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかった」(6)のです。そのため、両者の「牧者たちの間に、争いが」(7)起こるようになってしまいました。
アブラムは「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから」(8)とロトに語りかけました。そして、互いの間の争いを避け、平和をもたらすため、アブラムはロトに「全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう」(9)と提案しました。ロトにとって、アブラムは叔父であり、父親のような存在で、年長者でしたから、アブラムに全ての事を決定する権威と権利がありました。普通なら、アブラムが先に自分に良い方の土地を選ぶことが出来たのですし、アブラムがロトに土地について命じることが出来たはずです。しかし、アブラムは、自分で土地を選ばないで、ロトに先に選ばせたのです。
これは、アブラムの主に対する信仰の現われだったのです。アブラムは、自分勝手な思いで、エジプトに行くという失敗から、自分勝手な思いではなく、主の導きに従うことの大切さを学んだのです。だから、自分で土地を選ぶのではなく、全てを主に委ね、ロトに先に選ばせたのです。このように、アブラムは、信仰による選択をしました。
2.ロトは見えるところに従って選択した
「ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、…主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤って」(10)いました。そこで、ロトは迷うことなく、「ヨルダンの低地全体を選び」取りました。当時は、「主がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので」、緑が豊かでした。それで、ロトには、その土地が、家畜を飼うには最適に思われたのです。ロトの選択は、信仰によるものではなく、目に映るところに従うものでした。
ロトは「ソドムの近く」(12)に「天幕」を張って、住むようになりました。しかし、「ソドムの人々はよこしまな者で、主に対しては非常な罪人」(13)でした。そのため、ロトも初めのうちは、「ソドム」と距離を置いておいたのでしょう。しかし、やがて、ロトは、「ソドム」の町の中に住むようになります(創14:12)。そのため、ロトは、「ヨルダンの低地」で起こった戦争に巻き込まれ、自分や家族の命と財産を奪われることになりますが、アブラムに助けられました。それでも、ロトは、懲りることなく「ソドム」に住み続けました。更に、ロトの2人の娘は、神を信じず罪深い「ソドム」の男と結婚しました(創19:14)。こうして、ロトは、「ソドム」の町にすっかり根付き、一体化していったのです。ロトは、「心を痛め」(Ⅱペテ2:7-8)ながらも、「ソドム」に住み続けていたのです。
この後、「ソドム」が滅ぼされる際に、ロトは主の憐れみによって、何とか命は救われましたが、自分の妻と財産を全て失うことになりました。豊かになるためにそこに行ったのに、全てを失ってしまうことになるのです(ルカ17:33)。ロトは、目に見えるところに従って土地を選びましたが、それは間違った選択でした。「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」(箴14:12)
3.主の祝福の約束
ロトと別れた後、主は、アブラムに祝福の約束を与えました。第一の約束は、土地に関する約束でした。かつて、主は「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」(12:7)と語られましたが、今回は「見渡しているこの地全部を、永久に」(15)与えると約束されました。第二の約束は、子孫に関する約束でした。主は「あなたの子孫を地のちりのようにならせる」(16)と約束されました。しかし、この時、アブラムとサライには、一人も子供はいませんでした。二人とも高齢でしたから、子供が生まれる可能性もありませんでした。しかし、主は、アブラムに数えきれないほど多くの子孫が与えられると約束したのです。主を信じて従うことによる損失が大きくても、その損失にまさる祝福が与えられるのです。
また、主は、アブラムに「立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから」(17)と語られました。アブラムは、与えられると約束された地を、信仰をもって、実際に歩み、勝ち取っていかなければなりませんでした。約束が与えられているから、何もせずに、ただ待っていればよいというわけではありません。約束が与えられている故に、それを信じて行動に出ることが求められているのです。実際に行動して、約束を実現させることが大切なのです。
聖書は、「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません」(ヤコ1:22)と言っています。また、ヤコ1:25には「事を実行する人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます」とも語られています。
この後、アブラムは、「ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住」(18)みました。 そして、そこに再び「主のための祭壇」(18)を築きました。アブラムは、自分を祝福して下さる主に感謝して礼拝しました。目に見えるものだけに従わず、目に見えない主に従って歩みましょう。Ⅱコリ4:18。
Filed under: アブラハムの信仰の旅 • 伊藤正登牧師