15.10.18.

一つとなる教会 (続き)

エペソ4:16、ピリピ2:2

(先週の続き)

エペソ4:3の「一致を熱心に保ちなさい」は、
NIVでは「Make every effort to keep the unity」となっていす。
すなわち、「一致を保つためにあらゆる努力をしなさい」です。
私たちはキリストの体なる教会として、
一つとなるように自分の意志を傾け努力しなければならないのです。ピリピ2:2

② 心(スピリット)による一致

私たちが一つとなるためには、「心を合わせ」ることが大切です。
「心を合わせ」はNIVでは「being one in spirit」つまり「霊において一つとなる」です。
この言葉は、ギリシャ語原語では新約聖書中このピリピ書でしか使われてなく、
「霊において結合した」という意味もあります。
ですから、この「心を合わせ」とは、「霊的な一致」を意味しています。

クリスチャンはみな、基本的に同じ聖書を読み、同じ神様を信じ、
同じキリストによる同じ救いが与えられ、同じ聖霊を受け、同じ将来に向かっています。
しかし、本質的な部分では同じであっても、全てが同じとは限りません。
それぞれの教会や教団などで、聖書の理解や信条やスタイルが違うことがあります。
そのため、「何かが違う」、「霊が合わない」というようなことを感じることもあります。
その本質的でない部分の違いについては、批判したり、見下したりせずに、
互いに認め合い、受け入れ合うことが大切です。
それは、その教会や教団の伝統や文化や文脈の中では有効に機能するものなのです。
しかしだからと言って、それを自分の教会に持ち込むこと、教会に混乱を起こしたり、
最悪の場合は分裂や分派をもたらし、キリストの体である教会を破壊してしまいます。
ですから、自分の教会以外の聖書の理解や信条やスタイルに対しては注意が必要です。

今日は、様々な集会、セミナー、聖会があり、インターネットで様々な情報が得られます。
キリスト教のものだからと安心して、興味を引くものに簡単に飛びつくのは危険です。
単に有名な伝道者であるとか、奇跡を行う器であるとか、
用いられている預言者であるとかということで、その人について行くことは危険です。
いつの間にか違った理解、違った信仰、違った方向にいってしまうことがあります。
始めのうちはその違いにあまり気が付きませんが、
やがて混乱と分裂をもたらし、キリストの体の一致を破壊してしまうこともあります。
ですから、教会外の学びや集会に行く前に、牧師に相談し、指導を受けることが大切です。
羊は羊飼いの声を知っているので、羊飼いにはついて行きますが、
他の人にはついて行かず、逃げ出します。その人たちを知らないからです。ヨハネ10:2-5
キリストの体であるある教会が一つとなるために、
霊的な一致が保たれるように気を付けなければなりません。

私たちが互いに愛し合う中に、神様もその中におられます。Ⅰヨハネ4:12
私たちが一つになって、キリストの体である教会を建て上げる時、
そこに主ご自身も喜んで来て下さり、素晴らしい神様の臨在が現されるのです。
そして、私たちが一つとなる所に神様の祝福が豊かに注がれます。詩篇133:1-3
また、私たちがキリストの体である教会において一つとなるなら、
「いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられる」(エペソ1:23)のです。
一つとなる所に神様も共におられ、祝福が溢れ、恵みが注がれ、御業が現されるのです。
一つとなってキリストのからだなる教会を建て上げていきましょう。

Filed under: 伊藤正登牧師