14.11.9.

主に伺ったダビデ(前)

Ⅰサムエル22,23章

21章では、ダビデが神様を避け所とするよりも、
自分の身を守るために、偽りを避け所としたことが記されていました。
詩篇34篇で、ダビデは、この時の経験を基に、神様を信頼するべきことを歌っています。
ダビデは、どのように神様に信頼し、神様に従うようになったのでしょうか。

1.主に信頼し導きに従う

ダビデが祭司アヒメレクのところにいた時、サウルのしもべの一人ドエグもいました。21:7
ドエグはアヒメレクがダビデに食糧と武器を渡したのを目撃しサウル告げました。22:9,10
怒ったサウルは、アヒメレクと彼の家族、ノブの祭司たちを全員呼び寄せ、アヒメレクを厳しく責めたて、アヒメレクと祭司たちに死刑を言い渡しました。
そして、神様を恐れない異邦人ドエグに命じ、85人の祭司たちを剣で殺させ、ノブの住民も家畜も皆殺しにさせてしまったのです。22:19
しかし、アヒメレクの息子の一人エブヤタルが難を逃れて、ダビデの元に逃げて来ました。
ダビデはエブヤタルからサウルによる虐殺を聞いて、自分の責任を感じました。22:22
ダビデの自分を守るための偽りの行動が、他の人の命を奪うことになってしまったのです。
ダビデは自分が犯した失敗の経験から、自分の知恵や力に頼らず、神様に信頼し、神様の導きに従うことを学ぶようになったのです。
ダビデはガテを去ると、「アドラムのほら穴」に避難しました。
そこには、ダビデの家族親族やサウルの支配下で困窮している者たちも集まって来ました。
ダビデは自分の両親を守るために、モアブ王の元に連れて行き、保護を求めました。22:3
その時、ダビデはモアブ王に「神が私にどんなことをされるかわかるまで」と語りました。
この言葉には、神様に対するダビデの信頼が込められています。
ダビデは、神様が自分のために働いて下さり、何かして下さると信じたのです。
その後、預言者ガドがダビデの元に来て「ユダの地に帰りなさい」と言うと、ダビデは「ハレテの森」へ行きました。それはサウルに見つかる危険性のあることでした。
しかし、ダビデは預言者を通して与えられた神様の導きに素直に従ったのです。
ここには、偽りを避け所として自分の身を守ろうとしたダビデの姿はありません。
ダビデは神様に信頼し、神様の導きに従う者となったのです。
私たちも自分の知恵や力に頼るのではなく、神様を信頼し、神様の導きに従うことが最善であることを知らなくてはなりません。
自分で考えて、一生懸命努力するとことも大切ですが、それだけでは十分ではありません。
どんなに人間的に最善な方法であっても、最善を尽くしても、それが神様の導きでなく、神様が働いて下さらず、神様の祝福がないなら、何事も成されないからです。詩篇127:1,2
神様が最善へと導いて下さることを信じて、神様の導きに従いましょう。箴言3:5,6

2.主の御心を祈り求める

23章では、ダビデが自分の考えや力に頼らず、神様の導きを求めている姿が見られます。
ある時、ダビデにケイラの町がペリシテ人に襲われているという知らせが伝えられました。
いつもなら、ダビデは先頭に立って戦いに出て、イスラエルを敵から救い出したでしょう。
しかしこの時は、ダビデはサウルの追跡から逃れている最中で、目立った行動は危険です。
そこでダビデは、自分がケイラの町を救うために戦いに行くべきか、神様に尋ねました。
それに対して、神様は「行け。ペリシテ人を打ち、ケイラを救え」と答えられました。
しかし、ダビデの部下たちは反対しました。
なぜなら、ケイラのために戦うことになれば、サウルに見つかってしまいますし、逃亡の身の自分たちにはケイラのために戦う余裕もなかったからです。
ダビデの部下たちの言うことは、非常に現実的で、常識的なものでした。
しかし、ダビデは部下たちの言葉にそのまま応じることなく、もう一度御心を求めました。
人生には、決断しなければならないことや、選択しなければならないことがあります。
そのような時、自分で考えたり、人の意見を聞いたり、状況をよく調べて決めますが、このダビデのように、まず神様の御心を祈り求めることが大切です。
なぜなら、神様は、私たちのために良い計画を持っておられるからです。
私たちが神様を求め、祈る時、神様は私たちに答えて下さるのです。エレミヤ29:11-13
また、神様の御心を求める時には、自分の心をニュートラルな状態にして、神様が語れることには何でも従いますという心の姿勢を持つことが大切です。
初めから自分の願いを神様に押し付け、御心として下さるように祈ることはありませんか。
頑なな心のまま神様の語りかけを聞こうとしても、聞くことはできません。
「聞く耳のある者」(マルコ4:9,23)だけが神様の語り掛けを聞くことが出来るのです。
サムエルのように、「主よ。お話ください。しもべは聞いております」(3:10)と、へりくだって神様の御心であるなら何でも従う心をもって御心を求めることが大切です。
私たちが主の御声を聞くためには、たとえそれが自分の願いと違っていても、自分の好まないことであっても、都合の悪いことであっても、神様の言葉として受け止めていく信仰の姿勢を持たなければなりません。
ダビデは現実的な状況や人間的な考えに囚われることなく、神様の御心を求めました。

3.主の御心を確認する

この時、ダビデの元にはサウルの虐殺を逃れて来た祭司エブヤタルがいました。
ダビデはエブヤタルを通して神様の御心を求め、神様の御心を示されたのでしょう。
では私たちは、どのようにして神様の御心、導きを見分けることが出来るのでしょう。

① 聖書の教えに則しているか
聖書に神様の御心が明らかに記されています。聖書は信仰と人生の規範です。Ⅱテモテ3:16
私たちは、聖書の言葉によって、神様の御心と人生における導きを受けることが出来ます。
神様は私たちが聖書に反することをするように導くことはありません。
神様からの導きとして示されていることを、聖書の御言葉に照らし合わせてみましょう。
神様からの直接的なメッセージとして、御言葉が与えられる場合もありますし、間接的に自分の置かれている状況あった聖書箇所が示される場合もあります。
神様は聖書を通していつでも語っておられます。
しかし、聖書を私的解釈、曲解をしないように気をつけましょう。Ⅱペテロ1:20,3:16
聖書の御言葉によって、神様の御心と導きに対する確信を持つことが大切です。

(つづく)