16.12.18.

主の不思議な導き

ルカ2:1-20

ルカ2:1-20には、イエス・キリストの誕生の時の状況が記されています。
そこには、主の不思議な導きを見ることが出来ます。

1.ベツレヘムでの誕生

旧約聖書に、キリストがベツレヘムで誕生するという預言があります。ミカ5:2
ベツレヘムは、イスラエル南部のユダヤにある町です。
しかし、この時、ヨセフとマリヤが住んでいたのは、
イスラエル北部の「ガリラヤの町ナザレ」という町でした。
もし、マリヤがナザレでイエス様を出産していたら、
キリストがベツレヘムで産まれるという預言は実現しなくなります。
しかし、結果として、マリヤは、イエス様をベツレヘムで産みました。
なぜ、マリヤは、自分が住んでいる町ナザレではなく、
遠く約120kmも離れたベツレヘムでイエス様を産むことになったのでしょうか。
それは、その当時、全世界を支配していたローマ帝国の「皇帝アウグスト」が、
「全世界の住民登録をせよ」という勅令を出したからです。(1)
この勅令に従って、人々は「住民登録」するため、
「それぞれ自分の町」すなわち出身地へと向かったのです。(3)
この時、ヨセフは、出身地「ユダヤのベツレヘムというダビデの町」へと向かいました。(4)
勿論、「身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するため」に行きました。(5)
もし、「皇帝アウグスト」の勅令がなければ、
ヨセフとマリヤは、ベツレヘムへと行かなかったでしょう。
旧約聖書の預言実現のために用いられたのは、「皇帝アウグスト」であったということです。
神様は、この世界と歴史を支配しておられ、この世界と歴史の背後に働いておられます。
神様は、世界の様々な人物や出来事を用いて、ご計画を実現されるのです。伝道3:11

2.飼い葉おけに寝かされたキリスト

お生まれになったイエス様が寝かされた場所は、「飼葉おけ」でした。
つまり、イエス様は「家畜小屋」でお生まれになったと考えられます。
当時のユダヤの「家畜小屋」は、岩を掘って作った「洞窟」になっていました。
その「飼葉おけ」も、石で作られたものであったと言われています。
「キリスト」とは「油注がれた者」という意味で、「王」を指す言葉です。
ユダヤ人たちは、やがて王なるキリストが現れ、
自分たちを敵から救い、その支配から解放してくれると信じ、期待していました。
しかし、王であるイエス様は、立派な宮廷ではなく、暗く、汚い「家畜小屋」に生まれ、
柔らかいフワフワのベッドではなく、堅く冷たい「飼葉おけ」に寝かされたのです。
聖書には、ベツレヘムの「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」とあります。
イエス様は、神様であられるのに、人間の姿になり、貧しくなって来られたのです。
それは、私たち人間を罪と滅びから救うため、
私たち人間の罪をその身を追われ、十字架にかかって死ぬためでした。ピリピ2:6-8
イエス様が誕生した場所は、イエス様の死を象徴する場所であったのです。
イエス様は死なれた時も、同じように布に包まれ、洞窟の墓におさめられました。
誰がこのようなキリストの誕生を予想していたでしょう。イザヤ53:1,2
しかし、これが神様のご計画であり、導きであったのです。
神様は、私たちの人生をもユニークな方法で導かれることがあります。
人生には理解に苦しむようなことも起りますが、そこにも何か神様の御心があるのです。

3.羊飼いたちへの告知

イエス様がお生まれになったその晩、ベツレヘムの野原では、
「羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守って」いました。
すると突然、「羊飼いたち」の前に御使いが現れて、キリストの誕生を告げました。
「羊飼いたち」は、当時、社会の底辺にいた貧しい人たちでした。
彼らは、人々から見下され、軽蔑され、社会的に差別されていました。
「羊飼いたち」の言うことは信用されず、裁判の証言も許されませんでした。
しかし、神様は、このような「羊飼いたち」に、最初にキリストの誕生を知らせたのです。
キリストの誕生が最初に知らされたのは、王や権力者、指導者たちではなく、
日ごろ、人々から見下されていた「羊飼いたち」でした。
なぜ、神様は、もっと社会的に影響力のある人たち、
政治家や宗教的指導者、有名な人、お金持ちに伝えられなかったのでしょうか。
キリストの誕生が最初に「羊飼いたち」に知らされたのは、
キリストが「罪人」を救うために来られたことを示すためだったのですCf.Ⅰテモテ1:5
この「羊飼いたち」は、私たち「罪人」の代表、また「愚かな者」、「弱い者」、
「取るに足りない者」、「見下されている者」の代表でした。Ⅰコリント1:26-29
しかし、この「羊飼いたち」にも、優れた点が一つありました。「単純で素直な信仰」です。
キリストが「飼い葉おけに寝ておられる」など、ユダヤ人には信じられないことでした。
しかし、「羊飼いたち」は、御使いからのメッセージをそのまま信じ、受け入れたのです。
彼らは、自分たちが聞いたことについて、疑ったり、否定したりしませんでした。
「羊飼いたち」は、御使いたちの知らせを聞いて、すぐに応答しました。
それは、「羊飼いたち」の単純で素直な信仰からきたものでした。

私たちの人生には、自分の期待や考えていたことと違うことが起るかもしれません。
しかし、神様は、全ての事の背後におられ、神様が支配し、働いておられます。
神様は、私たちの人生をもユニークな方法で導かれることがあります。
最悪な状況であったり、理解出来ない事であっても、
「羊飼いたち」のように、単純で純粋な信仰をもって、主の導きに従いましょう。
「羊飼いたち」は、キリストに出会った時、喜びに満たされ、神様を賛美しました。(20)
私たちも、御言葉の実現、主の御業を見させていただき、大きな喜びに満たされ、
神様を賛美する者とならせていただきましょう。

Filed under: 伊藤正登牧師