16.09.11.

主の宮を建てよ

ハガイ1章

ペルシヤ帝国の王クロスは、ユダヤ人たちをユダに帰還させ、
エルサレムにある神殿を再建するようにと命令しました。エズラ1:2-3
BC536年、第2の月に、神殿の再建工事が始まりました。
しかし、周辺民族からの様々な妨害があり、ついにユダヤ人たちは訴えられ(エズラ4:6)、
アルタシャスタ王から中止命令が下り、武力をもって中止させられてしまいました(4:23)。
BC520、ダリヨス王の第2年まで、約16年間、工事は中断されてしまいました(4:24)。
その間に、ユダの人々は、祖国再建という情熱を失い、無気力となり、
神殿に対して無関心となり、自分の家を第一にするという利己的な生活に陥っていました。
そのような時、預言者ハガイは、人々の信仰を励まし、神殿再建へと向かわせました。

1.自分の現状を考えよ

当時、人々は、色々な理由を並べ立てて、
「主の宮を建てる時はまだ来ない」(2)と言っていました。
結局、ユダヤ人には、神殿を建て直すという意欲がなかったのです。
彼らは、神様の家である神殿が廃墟のままであることには無関心でした。
一方、ユダヤ人たちは、このようなことを言っておきながら、
自分たちのために、立派な「板張りの家」(4)を建てることに夢中でした。
そのようなユダヤ人たちに対して、ハガイは言いました。
「万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。」(5)
そして、ハガイは、ユダヤ人たちの現状を述べました。(6)
彼らは、種を蒔いても収穫は少なく、食べたり飲んだりしても満たされなく、
着物を着ても温まらず、どんなに一生懸命働いてお金を稼いでも、
「穴のあいた袋」(6)に入れるように直ぐに無くなりました。
ハガイは、彼らがどんなに神様の祝福を失ってしまったかを指摘したのです。
そして、それは「なぜなのか」ということを問いかけ、考えさせたのです。
「あなたがたの現状をよく考えよ」は、
原語では「あなたがたの道にあなたがたの心を置け」となっていて、
新共同訳では「お前たちは自分の歩む道に心を留めよ」と訳されています。
つまり、自分がこれまで歩いて来た道、自分の過去の生き方と、
それがもたらした結果としての現状を考えてみなさいという意味です。
その答えは、神殿が「廃墟」となったままなのに、
「自分の家のために走り回っていたから」(9)でした。
ユダヤ人たちの窮乏の原因は、彼らの神様に対する不忠実さ、
自分の益だけを求める利己心と自己中心性にあったのです。
彼らは、優先順位を間違えていたのです。
第一のものを第一としないで後回しにし、第二、第三のものを第一としていたのです。
すなわち、神殿建設を後回しにし、ただ「自分の家のために走り回っていた」のです。

2.山に登り、木を運び、宮を建てよ

「あなたがたの現状をよく考えよ」は、
口語訳では「あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい」と訳されています。
反省するだけではなく、悔い改めの行動を起こすことが大切です。
神殿に対する無関心から立ち返り、工事のために立ち上がることが求められているのです。
神様は、ハガイを通して「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ」(8)と言われました。
しかし、本当に大切なことは、単に建物としての神殿を建てることではありません。
神殿は、神様を礼拝する場所です。神様がユダヤ人たちに求めておられたことは、
自己中心の生活から抜け出して、神様中心の生活を送るようにということです。
それは、神様を礼拝することを中心にした生活です。
神様は、神様を心から礼拝する者となることを求めておられたのです。
神様は続けて言われました。「そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現そう。」(8)
ユダヤ人たちが心からの礼拝をささげる時、神様はそれを喜んで下さるのです。
礼拝とは、人を喜ばせるものではなく、神様に喜んでいただくものです。
また、目に見えない神様の目に見える現れが神様の「栄光」です。
この神様の「栄光」は、「シャカイナ・グローリー」と呼ばれています。
「シャカイナ・グローリー」とは、目に見える主の臨在の現れとしての「栄光」です。
神様を心から礼拝する時、そこに神様の「栄光」の臨在が現されます。
出エジプト40:34-35。モーセが幕屋を完成させた時、「主の栄光が幕屋に満ち」ました。
Ⅱ歴代5:13-14。ソロモンが神殿を建設し、その神殿を神様にささげる礼拝をしていた時、
奏楽者たちと賛美を歌う者たちが、「まるでひとりででもあるかのように一致して歌声を響かせ、
主を賛美し、ほめたたえ」ると、「主の宮は雲で満ちた」のでした。
神殿は、神様の臨在が迎えられ、神様と出会う場所です。
神様は、ユダヤ人たちが神様を愛し、慕い求め、礼拝する民となってほしかったのです。
そして、彼らが神様と親しく交わる者となることを願っておられたのです。
神様は、礼拝において、ご自身を彼らに現し、彼らを導きたいと願っておられたのです。

BC520年、「第六の月の二十四日」(15)、ユダヤ人たちは「仕事にとりかかった」(14)のです。
4年後、BC516年、第12の月の3日、神殿は完成しました。エズラ6:14-15
ユダヤ人たちが過越のいけにえをささげた時、大きな喜びがありました。エズラ6:19-22
主は、私たちにも「あなたがたの現状をよく考えよ」と語っておられます。
私たちは、いつの間にか、優先順位が間違ってしまってはいないでしょうか。
神様を求め、神様を礼拝することに無関心で、無気力となってはいないでしょうか。
私たちの内なる神殿は、破壊されたまま、廃墟となったままになっていませんか。
主は、私たちにも「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ」と語っておられます。
私たちも、霊的な神殿を建て上げる者となりましょう。
すなわち、心から神様を愛し、慕い求め、神様を礼拝し、
神様の臨在の中で、神様と親しく交わる者となりましょう。
神様は、私たちが心から礼拝する者となることを切に求めておられます。ヨハネ4:23-24

Filed under: 伊藤正登牧師