17.9.3.
交わりを持とう(続)
Ⅰヨハネ1:3
私たちに福音が伝えられたのは、私たちが個人的に救われるためだけではなく、
私たちが神様とイエス様を中心とした「交わり」に加えられるためでした。
神様は、私たちが一人だけで信仰生活を送るのではなく、
主にある兄弟姉妹たちとの交わりの中に生きるようにと招いておられるのです。
1.私たちの交わりとは
「交わり」とは、ギリシャ語で「コイノニア」と言い、
「共有する、分かち合う」という意味があります。
初代教会では、「いっさいのものを共有して」(使徒2:44)いました。
では、今日、私たちは何を分かち合い、共有するのでしょう。
① 主の恵み
私たちが共有するもの、分かち合うものとは、
父なる神様と御子イエス様ご自身です。Ⅰヨハネ1:3。
実は、私たちは、礼拝で、神様とイエス様を共有し、分かち合っているのです。
その象徴的な行為が「聖餐式」です。
「交わり」の中で、イエス様がどんなに素晴らしい恵みを与えて下さったかを分かち合い、
神様の愛がどんなに素晴らしいものであるかを分かち合うのです。Ⅱコリント13:13。
主の恵みは、分かち合い、共有することによって、さらに増えます。
5つのパンと2匹の魚を分かち合った少年は、
自分が持っていた弁当を出し惜しみすることなく、多くの人々に分かち合いました。
すると、減ることなく、増えて、人々を満腹させるものとなったのと同じです。
② お互いの重荷
私たちは、それぞれが抱えている問題や重荷を共に分かち合います。ガラテヤ6:2。
自分の抱えている問題や重荷を打ち明けたり、
兄弟姉妹の抱えている問題や重荷について耳を傾けます。
重いテーブルを一人で持とうとすると、重くて持ち上げられませんが、
みんなで一緒にテーブルを持つと、軽く持ち上げられるのと同じです。
たとえ、私たちにはどうすることも出来なくても、祈ることが出来ます。
互い祈り合うことが出来るということは、クリスチャンの「交わり」の大きな特権です。
主の恵みは、分かち合うことによって、無何倍にも増やされますが、
重荷は、負い合うことによって、軽くなるものなのです。
喜びも悲しみも共に共有する「交わり」が、クリスチャンの「交わり」です。ローマ12:15。
2.交わりがもたらす恵み
主にある兄弟姉妹の「交わり」によって、どのような恵みがもたらされるのでしょう。
① 霊的な守り
どんなに聖霊に満たされ、心が燃やされ、強い信仰を持っていたとしても、
私たちには弱さや限界があり、一人では迷い易いものです。
また、世の中には、敵である悪魔の誘惑や攻撃があります。
もし、教会の「交わり」から離れ、孤立してしまうなら、
敵の攻撃に対して弱くなってしまいます。
この敵の攻撃や罠から守られるため、「交わり」が必要なのです。
「交わり」にとどまることによって、互いに励まし合い、
ある時には責めたり、戒めることによって、霊的に守られます。コロサイ3:16。
② 霊的な成長
霊的・信仰的な成長に必要なのは、御言葉です。Ⅰペテロ2:2、Ⅱテモテ3:16,17。
私たちは、祈りながら、聖霊の助けを頂いて、一人で聖書を読み、学ぶことも出来ます。
今日は、本やDVDやインターネットを通して、一人でも聖書を学ぶことが出来ます。
しかし、それによって、かえって信仰が混乱してしまう危険性もあります。
また、一人だけでは、自分の好きな御言葉だけを選んだり、
自分の興味ある教えや学びに偏ってしまう傾向があります。
また、一人だけでは、間違った解釈や理解をしてしまうかもしれません。
私たちには、聖書の正しい解き明かしが必要です。使徒8:31。
教会の「交わり」では、御言葉の正しい解き明かしが教えられます。
私たちが聖書を学ぶ目標は、単に聖書知識を増すことではなく、
キリストに似た者へと変えられることです。
それは、人間関係の中で、体験的に御言葉を学んだり、
訓練され、習得するものです。箴言27:17。
私たちは、「交わり」の中で、実際に「愛すること」、「赦すこと」、「忍耐すること」、
「へりくだること」を体験し、キリストの姿へと変えられ、成長させられていくのです。
「交わり」の最高の祝福は、主の臨在です。マタイ18:20。
私たちが一つとなって交わる所には、神様の豊かな祝福が注がれます。詩篇133:1-3。
「交わり」の中で、主の恵みを分かち合い、お互いの重荷を負い合い、
互いに祈り合い、励まし合い、教え合い、戒め合い、仕え合いましょう。
「交わり」の中で、お互いに強められ、キリストの姿へと成長させられていくのです。
Filed under: 伊藤正登牧師