15.7.19.
人生の季節
伝道者3:1-14
伝道者の書を書いたソロモンは、「天の下では、何事にも定まった時期があり、
すべての営みには時がある」(1)と語り、その後で人生の様々な時に言及しています。
英語の聖書(NIV)では、「全てのことには季節がある」と訳されています。
人生には様々な出来事があります。良い時もあれば、悪い時もあります。
それは、夏があり、冬があるというような季節のようなものだというのです。
人生には冷たく暗い冬のような時もあれば、暖かく明るい夏のような時もあります。
このような人生について、幾つか覚えておかなければならない点があります。
1.私たちは季節を変えることはできない
人生には必ずしも良い事ばかりがあるわけではありません。
辛い時、悲しい時、苦しい時があります。それが人生の現実です。
しかし、季節が巡って来て、また去って行くのと同じように、
辛く悲しい時もありますが、それはいつか去って行くものです。
自分の力で季節を変えることが出来ないように、
私たちも自分の人生に起こる出来事を変えることは出来ません。
2.人生の冬や嵐の時に悪魔のささやきがある
人生のおけるもう一つの現実は、人生の冬や嵐の時に、
悪魔が神様の子どもたちを訴え、攻撃するためにやって来るということです。
悪魔はあなたが人生の冬にいるのは、あなたが何か失敗したらかだと語り掛けます。
聖書は悪魔が主にある者たちを訴える者であると教えています。黙示12:10。
悪魔はあなたが疲れ傷ついている時にあなたを責め立てようとするのです。
また、悪魔は神様についても悪く訴えます。
悪魔は神様があなたを忘れてしまったとか、
神様があなたに罰を与えているのだとか、嘘を言います。
しかし、神様は常に誠実なお方です。
神様はあなたがどのような季節にあっても、あなたのことを心にかけておられます。
神様は忠実なお方であり、季節を変え、必ず春を来たらせて下さいます。
神様は全ての季節を支配しておられるお方です。
また、私たちは教会として、お互いに季節を分かち合うのです。
Ⅰコリント12:26には、教会の一つの部分が苦しめば、全ての部分が苦しみ、
教会の一つの部分が褒められたら、全ての部分が喜ぶとあります。
ガラテヤ6:2では、お互いに重荷を負い合い、キリストの律法を全うするようにとあります。
3.全て時にかなって美しい – 私たちの希望
11節に「神はまた、人の心に永遠を与えられた」とあります。
これは、私たちの心を永遠ということに置くということです。
私たちの希望はこの世界にあるのではなく、永遠というものにあるのです。
すなわち、私たちの希望は永遠なるお方である神様にあるのです。
もし私たちが神様に希望を置くならば、
どのような人生の季節においても、私たちは揺らぐことはありません。
12節には、喜び楽しむことは良い事であるとあります。
神様は私たちが喜び楽しむことを望んでおられます。
私たちの喜びは状況に基づくのではありません。
私たちの心を永遠なる神様に向ける時に喜びがあるのです。
また11節には、神様が成さる事の初めから終わりまでを理解できないとあります。
ヨセフが牢屋にいた時、ダビデがサウルから逃れるために洞窟の中にいた時、
ヨブが苦しみの中にいた時、パウロが迫害の中にある時、
彼らはみな神様が成さる事を理解できませんでした。
私たちも神様がどのように私たちの人生を美しいものにして下さるのか理解できません。
しかし、神様は神様を愛する者たちのために、
全てのことに働いて、全てを益に造り変えて下さるのです。ローマ8:28-39。
私たちを訴えることのできる者はなく、私たちを神様の愛から引き離すものもありません。
それどころか、私たちは神様によって、
どのような状況の中にあっても、圧倒的な勝利者となれるのです。
Ⅱコリトン5:7には、「確かに、私たちは見るところによってではなく、
信仰によって歩んでいます」とあります。
私たちは信仰によって歩まなければならないのです。
今、あなたはどのような季節の中にあるでしょうか。
季節を見るのではなく、永遠なるお方である神様に心を定めましょう。
神様はあなたがどのような季節にあるかご存知です。
神様は全てを働かせて益として下さり、全てを美しいものへと造り変えて下さいます。
人生のどのような季節にあっても、神様を信頼しましょう。
神様が成される事は時にかなって美しいのです。
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