十字架上のことば「完了した」
ヨハネ19:28-30
210328
聖書には、イエスが十字架上で言われたことばが7つ記されています。今日はそのなかで「完了した」を学びましょう。
1.キリストの受難預言はすべて完了した
イエスは、十字架の上で、「すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「私は渇く」と言われ」ました。するとローマ兵が酸いぶどう酒をヒソプの枝につけてイエスに飲ませました。そしてイエスは「完了した」と言われました。
酸いぶどう酒とありますが、ぶどうの果汁を熟成するとき、樽にいれないと、空気が入りすぎて、酸っぱくて腐敗臭のするまずいぶどう酒ができるそうです。そんな安くて酸っぱいぶどう酒をイエスは飲まされたということです。
このことは、詩篇69:21の御言葉の成就を意味するものでした。つまり、この御言葉をもって、旧約聖書に預言されてきたキリスト(メシヤ)の受難に関するすべての預言が成就したのです。そのとき、イエスは「完了した」と言われました。
キリストの受難の御言葉は多くありますが、主なものは、イザヤ53章(とくに1-6)、詩篇22篇(とくに1-18節)、詩篇69篇(とくに21節)です。
イエスは御言葉を成就させるために十字架にかかられ、渇き、酸いぶどう酒を受けられました。イエスは十字架に限らず、生涯のすべてが御言葉を成就するためでしたが、十字架の死にまでも従われたのです。なんと神に従順な生涯でしょうか(ピリピ2:6-8)。私たちも神のことばに従順になりましょう(Ⅰサムエル15:22)。
2.十字架で成し遂げられたこと
イエスの「完了した」という御言葉には、たくさんの意味が含まれています。とくに大切なのは、
①人の罪のための代価の支払いは完了したことです(Ⅰコリント6:20、マルコ10:45、ローマ6:23)。こうして
②神と人との平和を回復されました(エペソ2:16)。イエスは、十字架によって
③人類に救いの道を開かれました(ヘブル5:8-10)。これは、イエスが切り開かれた道を通って、
④人が神に近づくことができるようになったということです(エペソ2:18、ヨハネ14:6)。
イエスの十字架の死は、ひとりの苦しい死でしたが、これらのたくさんのことが一挙に完了し、成し遂げられました。このことで新しいことが始まったのです。イエスを通して多くの人が救われるようになりました。イエスが一粒の麦となり、死ぬことで多くの実を結ぶこととなったのです(ヨハネ12:24)。
イエスは十字架のために、この地上に来られました。すべてはこの十字架の死のためでした。そしてついにそれを完了されたのです。イエスの生き方は、十字架の上で自分のいのちを与えるためでした(マルコ10:45)。なんと感謝なことでしょうか。
3.イエスの開かれた道を歩もう
イエスはいのちをかけて、素晴らしい救いの道を完成させてくださいました。イエスを信じて罪の赦しを受けましょう(ローマ6:23)。イエスが私たちの罪を身代わりに引き受けてくださったのです。
私たちはイエスが切り開かれた道を歩みましょう(Ⅰペテロ2:21)。イエスこそ道、真理、いのちです(ヨハネ14:6)。
私たちは神を求めましょう(マタイ6:33)。キリストによって、私たちは神に近づくことができるようになったのです(ピリピ2:18)。
私たちは自分を捨て、自分の十字架を負ってイエスに従いましょう(ルカ9:23)。イエスも十字架の死にまでも従われました。
私たちも最後までイエスに従いとおし、救いを達成させましょう(ピリピ2:12、黙示録2:10b)。イエスも最後まで父なる神に従いとおしました。パウロも死に至るまで主イエスに従いとおしました(Ⅱテモテ4:6-8)。
イエスは十字架の上で「完了した」と言われました。受難預言を完全に成就し、人類に救いの道を与え、人が神に近づくことができるようにし、人々に神との平和を与えてくださいました。私たちはイエスが開かれた救いの道を歩み、最後まで歩き続け、救いを達成していきましょう。
Filed under: 柴田晃伝道師