2023年8月13日
キリスト者は「地の塩、世の光」として、この世界に遣わされている者たちです。今日の箇所を通して、私たちに与えられている2つの役割を見たいと思います。
私たちは地の塩です(13節a)塩には多くの役割があると思います。
調味料(塩)をうまく使うと料理が美味しくなります。でも塩が自己主張すると、せっかくの料理が台無しになってしまいます。大事なのは塩加減です。塩は自らの存在を消して、うまく料理の中に溶け込むことによって成功をおさめます。私たちクリスチャンは、この地において塩の役割があります。味付けをする働きです(コロサイ4:6)
昔は冷蔵庫がなかったので、塩の役割が今よりも重要でした。クリスチャンと教会は、道徳の腐敗を防ぐ役割があります。この地にクリスチャンがいてもいなくてもほとんど変わらないのであれば、それは悲しいことです。
塩分が多いものを食べると喉が渇きます。私たちクリスチャンとの関わりを通して、誰かに霊的な渇きが与えられるなら素晴らしいと思います。主イエスとサマリヤの女の会話のようにです。渇きを癒してくださるイエス様を自然と紹介できるなら感謝なことです。
私たちが地の塩の役割を果たしていかないと、この世に同化されていくことになります。この世の価値観に流され、教会がこの地に影響を与えるのではなく、逆に教会がこの世の影響を受けてしまう。私たちに塩味がなくなってしまい、霊的ないのちを失ってしまったら、それは悲しむべき状態です(13節b)。塩気を失わないように気を付けましょう。
私たちは世の光です(14節a)主イエスは光としてこの世に来られ(ヨハネ8:12)、暗闇(絶望)の中にいた人々に希望を与えられました。主イエスは隠れていませんでした。カルバリーの丘で十字架に架かり、人類の希望となられました(14節b)。光は塩と逆です。塩は自らを隠すことによって影響を与えますが、光は自らの存在をあらわすことによって影響を与えていきます。私たちも隠れクリスチャンであってはいけません。私たちは光で、闇を照らす者たちです(15節)。光を輝かせましょう(16節)。
Filed under: その他の説教者 • 和田一喜牧師
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