18.11.18.
主は、私たちが「実を結ぶ者」となることを望んでおられます。では、私たちが結ぶべき実とはどのようなものでしょう。また、どのようにしたら実を結ぶ者となることが出来るのでしょう。
1.私たちが結ぶべき実
私たちが結ぶべき「実」について、いくつか考えられます。
① 御霊の実 : キリストの性質(ガラテヤ5:22,23)
これらの9つの「実」は、キリストの性質であり、私たちが「実」を結ぶということは、私たちの内側にキリストの性質が宿るようになるということです。つまり、私たちがキリストに似た者へと変えられていくということです。クリスチャンの霊的成長とは、単に聖書知識や賜物が豊かに与えられているとか、多くの働きをしているということではありません。キリストに似た者となるとことが、クリスチャンとして霊的に成長するということです。木が成長すると実を結ぶように、私たちも霊的に成長すると、「御霊の実」を結ぶようになり、キリストに似た者となるのです。
② 光の実 : 良い行い(コロサイ1:10)
ここには、「善行」すなわち「良い行い」という「実」を結ぶようにと言われています。エペソ5:9では、「良い行い」に励むことを「光の実」とも言っています。ニュースでは、毎日、詐欺や殺人など、酷い事件が報道されています。このような暗やみの世界の中で、私たちは、愛や親切などの良い行いの光を輝かすのです。イエスは、「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい」(マタイ5:16)と言われました。私たちは、「良い行いに歩むように」、キリストにあって造られました(エペソ2:10)。
③ 働きの実 : 伝道の実・魂の実(Ⅰコリント9:1)
イエスは、私たちを選び、任命されたのは、私たちが「行って実を結び、そのあなたがたの実が残るため」であると言われました。ヨハネ15:16。「いつまでも残る実」とは、一人の人が救われて永遠のいのちを持つということです。パウロはコリントのクリスチャンたちのことを、パウロの宣教の働きによって救われた「働きの実」(Ⅰコリント9:1)であると言っています。また、パウロは、福音宣教が広まって、多くの人が救われていることを「世界中で、実を結び広がり続けています」(コロサイ1:6)と表現しています。
2.イエスにとどまる
では、どのようにしたら「御霊の実」、「光の実」、「働きの実」を結べるのでしょう。イエスは、「人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます」(ヨハネ15:5)と言われました。では、「イエスにとどまる」ということはどういうことでしょう。
① イエス・キリストを救い主として信じる(主との関係にとどまる)
イエスにとどまるとは、まずイエスとの個人的な関係を持つということです。それは、イエスを救い主として信じ受け入れるということです。人間にはみな罪があります。罪は、私たちときよい神との関係を断ち切ってしまうものです。神との関係が断ち切られている状態は、霊的に死んでいる状態なのです(エペソ2:1)。そのような状態では、実を結ぶことは出来ません。しかし、自分の罪を認め、神の前で告白し、イエスが自分の罪のために、十字架にかかって死んで、よみがえられたことを信じるなら、罪は赦されるのです。すなわち、神との関係が修復され、神と共に永遠に生きる者とされるのです。それは、霊的に生き返らされるということです(エペソ2:5)。
② 日々イエスとの交わりを持つ(主の臨在にとどまる)
イエスにとどまるとは、日々イエスとの親しい交わりを持つということです。イエスとの関係は、イエスを信じ受け入れるという一時的な体験で終わることなく、生涯をかけて築き上げて行くものなのです。ですから、日々、イエスとの交わり、コミュニケーションの時を持つことが必要です。主の前に出て静まり、聖書を読むことを通して、主の御声(語り掛け)に耳を傾けます。イエスにとどまるということは、イエスの言葉が私たちにとどまることです(ヨハネ15:7)。そして、祈りによって、主に語り掛けるのです。それは、聖霊による交わりです。聖霊との交わりを持つことによって、イエスにとどまることが出来るのです。忙しくても、マリヤのように、イエスの足もとに跪く時を持つのです(ルカ10:39-42)。
③ 教会につながり互いに愛し合う(イエスの愛にとどまる)
イエスは、「わたしの愛の中にとどまりなさい」(ヨハネ15:9)とも語られました。そして、イエスは、「あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです」(ヨハネ15:10)と言われました。そして、イエスの戒めとは、イエスが私たちを愛されたように、私たちもまた「互いに愛し合うこと」(ヨハネ15:12)です。イエスが私たちを愛して下さったように、私たちも互いに愛し合うなら、イエスの愛の中にとどまり、イエスにとどまることが出来るのです。そして、これは、特に教会において、実践され、訓練されるものです。教会には、主によって召し集められた様々な人々がいます。自分とは考え方、感じ方が違う人々、タイプの違う人々、合わない人々がいるでしょう。その中で、愛し合うことを学び、訓練され、実践されるのです。Cf.コロサイ3:13-14。
私たちが多くの実を結ぶことによって、主の栄光を現すことが出来ます。「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。」(ヨハネ15:8)。イエスは、私たちが多くの実を結ぶ者となることを期待しておられます。Cf.マタイ21:18-19。イエスにとどまり、多くの実を結び、主の栄光を現しましょう。
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