19.1.13.
「岩の上の家と砂の上の家」の例え話から、御言葉を実行するということについて聖書から学びます。
1.御言葉を人生の土台とする
「賢い人」は「岩の上」に自分の家を建てました。「岩の上」に家を建てるという作業は、大変な作業です。固い岩を砕いたり、穴を深く掘ったりする作業は、重労働だったでしょうし、何日もかけて忍耐して作業しなければならなかったでしょう。一方、「愚かな人」は、「砂の上」に自分の家を建てました。この人は、なるべく楽に、出来るだけ早く、また安く家を建てたいと考えたのでしょう。彼が選んだ土地は柔らかい「砂」地でしたから、簡単に、手早く土台が造られました。ある日、「雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いて」それぞれの家を打ち付けました。「岩の上」に建てられた家は、びくともせず立っていて無事でした。しかし、「砂の上」に建てられた家は、倒れてしまい、それも「ひどい倒れ方」でした。
この「家」は、私たちの信仰や人生を表しています。人生には、突然、困難や問題や誘惑など様々な試練の嵐が襲うことがあります。私たちの信仰や人生がしっかりとした土台の上に築かれていないと、試練の嵐が襲って来た時に、それに耐えられずに、倒れてしまうのです。すなわち、信仰を失ってしまったり、人生が失敗してだめになってしまいます。しかし、信仰や人生の基礎や土台がしっかりしていれば、倒れることはありません。自分の信仰や人生が、自分の考えや感情、人の言葉や周りの状況に従ってはいないでしょうか。それらは決して確かなものではなく、絶えず変わるもので、「砂」のように不安定なもので、信頼出来るものではありません。それらに信頼していると、試練の嵐が襲って来た時には、
その人の信仰も人生も崩れ去ってしまうのです。落ち込んだり、絶望したり、文句を言ったり、主から離れてしまうのです。それは、「砂」の上に家を建てた「愚かな人」と同じです。
私たちの信仰や人生の拠り所、土台となる「岩」とは、御言葉です。なぜなら、主の御言葉は、時代が変わっても変わることがないからです(イザヤ40:8)。御言葉を信仰と人生の土台とする時、どのような試練の嵐の時にも、その人の信仰も人生も倒れることなく、堅く立っていることが出来るのです。しかし、この「立つ」という言葉は、単に堅く立ち続けるという意味だけではありません。「人を起こして、立ち上がらせる」という意味もあります。英語で言うなら、「raise」となります。御言葉は、どんな時も揺るがない土台であり、人を起こして、立ち上がらせます。私たちは、御言葉を人生の土台としなければならなのです。
2.御言葉を聞いて行う者となる
では、御言葉を人生の土台とするということは、どういうことでしょうか。それは、主の御言葉を「聞いてそれを行う」ことであるとイエスは言われました。御言葉を読んだり、聞いたり、学ぶことは大切ですが、それだけでは足りません。その御言葉を実行しなければ、何の意味もありません。「賢い人」と「愚かな人」の違いは、御言葉を実行したかどうかでした。御言葉を「聞いた」、「読んだ」、「学んだ」というところで終わってしまい、御言葉を実行しないならば、「砂の上」に家を建てた「愚かな人」と同じです。詩篇1:2-3には、「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ」人は、「何をしても栄える」と言っています。しかし、「何をしても栄える」ためには、御言葉を実行しなければなりません。日々、御言葉を読み、御言葉を思い巡らすのは、御言葉を行うためです(ヨシュア1:7-8)。御言葉を実行する時に、主の祝福が伴うのです(ヤコブ1:25)。
聖書は、「みことばを実行する人になりなさい。」(ヤコブ1:22)と命じています。御言葉を実行するということは、御言葉を自分の日々の歩みに適用するということです。自分の考え方、言葉、生き方を、御言葉に合わせ、それを行うのです。御言葉を実行するということは、「岩の上」に家を建てるように、決して楽ではありません。それは、面倒なこと、難しいこと、苦労することかもしれません。しばしば、御言葉に従うことが困難であったり、犠牲や痛みを伴う時があります。それは、私たちにとって心地よいことではなく、避けたいことかもしれません。しかし、御言葉に従うことから逃げていたら、何の祝福もないのです。
クリスチャンの中には、御言葉を聞き、受け入れても、実行しない人がいます。御言葉を知っていて、何をするべきかを分っているのに、色々と自分なりの理屈を言って、その御言葉に従っていないのです。御言葉に「はい」と答えながら、御言葉に従うことを先延ばしにしているのです。御言葉によって語られているにも関わらず、従っていない部分は何でしょう。御言葉を知っていながら、色々な言い訳を言って、実行していないことはありませんか。たとえば、信仰決心、受洗、礼拝や祈り会に出席すること、奉仕、十分の一などの献金をささげること、誰かを赦し和解すること、悪習慣をやめること、etc。どんなに困難であったり、犠牲が伴ったり、心地よいものでなかったとしても、御言葉に聞き従い、御言葉を実行するのです。それが「岩の上に自分の家を建て」ることなのです。
人生には、どのような試練の嵐が襲って来るのか分かりません。どのような事が起こっても、慌てることなく、恐れることなく、落ち込むことなく、しっかりと信仰を持って、揺るぐことなく、人生を歩みたいものです。人生の試練に会わないように生きることは出来ませんが、試練があっても倒れず、しっかりと生きて行くことは出来ます。そのためには、御言葉に聞き従うことが必要です。御言葉を読んだり、学んだり、聞くだけではなく、実行しましょう。御言葉を聞き、実行する人は、人生の嵐に遭遇しても倒されることはありません。
Filed under: 伊藤正登牧師 • 神様の御言葉に聞き従う