17.3.26.

嵐の中で静まる

マタイ8:18,23-27、マルコ4:35-41

イエス様は、ガリラヤ湖の嵐を静める奇跡を行われました。
この奇跡からどのようなことが教えられるのでしょうか。

1.イエス様と舟に乗る

マタイ8:5によると、イエス様は、カペナウムにおられました。
イエス様は、カペナウムで人々に「神の国」について教え(マコ4章)、
また、百人隊長のしもべを癒し、ペテロの姑の熱病を癒されました(マタ8:5-17)。
その後で、イエス様は「向こう岸に行くための用意をお命じに」なりました(マタ8:18)。
マルコ4:35によると、イエス様は、「さあ、向こう岸へ渡ろう」と呼びかけられました。
「向こう岸」とは、「ガダラ人の地」(マタ8:28)、「ゲラサ人の地」(マコ5:1)です。
弟子たちは、イエス様に従って、舟に乗って、「向こう岸」へと向かいました。
ここに、イエス様の「弟子」と「群衆」の違いを見ることが出来ます。
「群衆」は、イエス様の教えを聞いても、その場所にとどまりました。
しかし、「弟子」たちは、イエス様の教えを聞き、
イエス様の召しに従って、イエス様と共に舟に乗って出かけて行きました。
「群衆」は御言葉を聞くだけの人たちですが、「弟子」は御言葉を聞いて従う人たちです。
「弟子」になるとは、イエス様に従い、イエス様と同じ舟に乗り、
イエス様と運命を共にする者であると言えるでしょう。
私たちは、「イエス様の舟」に乗っているでしょうか。
それとも、良い話だけ聞いて、岸辺で見ているだけでしょうか。

2.試練の嵐の中を通される

イエス様と弟子たちが舟をこぎ出すと、すぐに問題が襲って来ました。
今まで静かだった湖に「大暴風」が起こり、「舟は大波をかぶった」のです(マタ8:24)。
「激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになった」のです(マコ4:37)。
この「嵐」とは、人生に起こる様々な苦しみ、悲しみ、困難などを象徴しています。
人生の中で、嵐のような試練に会うことがあります。
イエス様の召しに従う道だから、何の問題もなく、
平穏に歩むことが出来るという訳ではありません。
むしろ、イエス様に従う歩みの中で、この世の嵐が襲いかかって来るのです。
弟子たちは、イエス様が「向こう岸へ渡ろう」と言われたから、
イエス様の言葉に従って、舟に乗り、沖へ漕ぎ出したのです。
そうしたら、「大暴風」、「激しい突風」が起こったのです。
イエス様と共に舟に乗り、この世に漕ぎ出していく時、
この世の風が打ち付け、この世の荒波にのまれそうになります。
信仰が転覆され、沈んでしまいそうな激しい試練を通されることもあるのです。

3.眠っておられたイエス様 -信仰のテスト

大嵐の中、イエス様は、「とものほうで、枕をして眠っておられ」ました(マコ4:37)。
そんなイエス様に対して、弟子たちは、叫んで言いました。
「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」(マタ8:25)
「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、なんとも思われないのですか。」(マコ4:38)
この弟子たちの言葉は、不満や怒りの気持ちの表れなのではないでしょうか。
私たちにも、同じような経験があるのではないでしょうか。
私たちにとって大きな辛さとは、自分がイエス様を信じ、イエス様に従って来たのに、
イエス様が、試練の時に、何も答えて下さらないということです。
実は、そのような思い、訴えが、信仰の小ささであり、薄さなのです。
イエス様は、弟子たちに言われました。
「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」(マタ8:26)
「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」(マコ4:40)
「あなたがたの信仰はどこにあるのです。」(ルカ8:25)
「大暴風」は「激しい嵐」であり、この「嵐」はギリシヤ語で「地震」とも訳されます。
この言葉の語源は、「「揺り動かす」という言葉です。
弟子たちが体験した「大暴風」とは、単に物理的な「嵐」の体験ではなく、
彼らの信仰が揺さぶられ、揺り動かされる霊的な体験でもあったのです。
試練の嵐の時に、私たちも、どれだけイエス様を信じ信頼しているか試されるのです。

4.共におられるイエス様を信頼する

弟子たちは、「大暴風」、「激しい突風」に右往左往してしまいました。
弟子たちは、イエス様が共におられることをすっかり見失ってしまっていました。
イエス様が共にいて下さるのに、イエス様が見えなくなってしまっていたのです。
私たちは、嵐の時にこそ、静まって、主なる神様に信仰の目を向けなくてはなりません。
詩篇46:10には「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」とあります。
口語訳では「静まって、わたしこそ神であることを知れ」となっています。
主がどのように偉大なお方であるかということに目を向け、主に信頼するのです。
イザヤ28:16。だから、神である主は、こう仰せられる。
「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、
堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない。
ローマ9:33では、「彼に信頼する者は、失望させられることがない」と訳されています。
主に信頼する時、慌てることもなく、失望することもありません。
そして、私たちが主の前に静まって、主を見上げ、主を待ち望む時、「新しく力を得」、
「鷲のように翼をかって」、試練の嵐の上を飛び越えることが出来るのです(イザ40:31)。

人生の試練の嵐の中で、信仰が揺れ動く時があります。
主の前に静まり、共におられる主に心を向け、主に信頼しましょう。イザヤ30:15
イエス様が「風と湖をしかりつけると、大なぎに」なりました(マタ8:26)。
人生の嵐を静めてくださるのは、イエス様だけです。Cf.ヨハネ14:27、16:33
恐れず、慌てず、心配せず、疑わず、主の前に静まり、主を待ち望みましょう。