17.5.14.

愛と知恵と信仰の人ヨケベデ

出エジプト2:1-10

旧約聖書を代表する人物は、モーセです。
このモーセの母親は、「ヨケベデ」です。民数26:59
モーセの兄アロンは最初の大祭司であり、モーセの姉ミリヤムは最初の女預言者でした。
神様に用いられた偉大な人物を生み育てたヨケベデは、どのような母親だったのでしょう。

1.愛に満ちていた

エジプトの王パロは、イスラエル人に生まれた男の子は、
ナイル川に投げ込まなければならないという命令を出しました。(1:22)
モーセの母ヨケベデは、モーセが生まれた時、
エジプト王パロの命令に背いて、3ヶ月間モーセを隠していました。(2:2)
それは、モーセが可愛らしい赤ん坊であり、心からモーセを愛していたからです。
パロの命令に背けば、自分自身も罰せられる ことになる可能性がありました。
しかし、ヨケベデは、恐れませんでした。
たとえ、自分が罰せられることなっても、必死にモーセを守ろうとしたのです。
それは、愛から出たことでした。愛には恐れがありません。Ⅰヨハネ4:18
母親は、子どもに最善を願うものであり、そのために自分が犠牲になっても構いません。
母親の子どもに対する愛は、犠牲的な愛であると言えます。
母親の自分の子どもを愛する愛は、神様の愛に近い愛です。
神様は、神様から離れ、神様に背を向けて、罪の中を自分勝手に歩んでいる人間を愛し、
その人間を救うために、御子イエス・キリストをお与え下さり、
御子イエス・キリストの命を犠牲としてささげて下さったのです。
ここに、私たちに対する神様の愛が示されました。ヨハネ3:16。ローマ5:6-8。Ⅰヨハネ4:9,10
命を与える愛ほど大きな愛はありません。ヨハネ15:13
ヨケベデは、モーセを愛をもって育てました。人を生かし、育てるのは、愛です。
私たちには神様の助けが必要です。神様の愛に満たされなければなりません。
神様の愛は、聖霊によって私たちに注がれるのです。ローマ5:5

2.知恵に満ちていた

ヨケベデは、モーセを隠していましたが、ついに隠しきれなくなってしまいました。
その時、ヨケベデは、うろたえることなく、とっさに何を為すべきかを考えました。
そして、ヨケベデは、「パピルス製のかごを手に入れ、そこに瀝青と樹脂とを塗って」(2:3)、
モーセのために特製のカゴを作りました。
そのカゴは、防水塗料が塗られていたので、川に流されても沈みません。
ヨケベデは、知恵に満ちていた人でした。
その知恵によって、モーセの命を守り、モーセを育てたのです。
人を生かし、育てていくためには、知恵も必要です。箴言19:2。箴言4:6。箴言14:1
箴言31:10-31には、知恵深いしっかりした妻また母について書いてあります。
知恵深いしっかりした妻また母は、自分の家をしっかり管理し、家族の面倒を見ます。
彼女は自分の夫を立て、夫に従い、夫を支えます。
また、子たちにもちゃんと食べる物も着る物も与え、よく世話をして養い育てます。
聖書は、女性が妻として母として、しっかりと家を治めるようにと教えています。
エペソ5:22,24,33、コロサイ3:18、Ⅰペテロ3:1。Ⅰテモテ2:11-15、5:8,13,14
これは、古くて硬い考え方、差別だと思われるかもしれませんが、
実はこれこそが聖書が教えている妻また母としての役割なのです。
私たちに必要な知恵は、人間の知恵ではなく、神様の知恵です。
神様の知恵は、神様を恐れるところから来ます。箴言9:10

3.信仰に満ちていた

ヨケベデの行動は、全て信仰から出ていたことでした。
へブル11:23には「信仰によって、モーセは…両親によって…隠されていました」とあります。
ヨケベデは、神様を信じ、モーセのことを神様の御手の中に委ねました。
神様がモーセをどのように助けて下さるかは分からなくても、神様に信頼したのです。
そして、ヨケベデの信仰の通り、モーセは不思議な方法で救い出されました。
モーセの入ったカゴは、ちょうど水浴びに来ていたパロの娘に見つけられました。(2:5,6)
モーセの姉ミリヤムは、パロの娘がモーセを憐れんでいる姿を見て、
とっさに知恵を働かせて、モーセの母ヨケベデを乳母として連れて行ったのでした。
こうして、神様の不思議な導きによって、モーセは、自分を殺そうとしたパロの元で、
安全に母ヨケベデによって養われることになったのです。(2:7-9)
こうして、ヨケベデは、モーセに乳を飲ませることができました。
その際に、ヨケベデは、モーセに神様のことを教えたのではないかと考えられます。
Ⅰサムエル1:21-28。ハンナもサムエルを乳離れするまで自分の元に置いて育てました。
ハンナは、人間の成長にとって基本となる大切な時期に、自分の元にサムエルを置き、
彼に授乳し、神様に仕えるに相応しく養育したに違いありません。
Ⅱテモテ1:5で、パウロは、テモテの信仰が、
母ユニケと祖母ロイスから引き継がれていると語っています。
ここに、信仰が「宿った」とあります。テモテの内には「純粋な信仰」が宿っていました。
母親が子に与えるものは、母の内に宿っているものです。
母親は、子どもに肉の乳を与えることは大切なことですが、
それだけではなく、母親の内に宿る霊的な乳(信仰)を与えることも大切です。
そのためには、自分自身がしっかりとした信仰を持っていなければなりません。
すなわち、どんな時にも神様を信じ、神様に信頼し、神様に従っているということです。

私たちもヨケベデのように、愛と知恵と信仰に満ちた者にならせていただきましょう。
たとえ子育てが終わっていても、子どもがいなくても、結婚していなくても、
私たちは誰かの霊的な親になることができるのです。
ペテロは、マルコのことを「私の子マルコ」(Ⅰペテロ5:13)と呼び、
パウロは、テモテのことを「愛する子テモテ」(Ⅱテモテ1:2)と呼びました。
私たちも、神様に用いられる偉大な器を生み出す者とならせていただきましょう。