15.10.4.
持っているものをしっかり持っていなさい
黙示3:7-13
フィラデルフィヤ教会に対するメッセージを通して、主の御声に耳を傾けましょう。
フィラデルフィヤ教会はどのような教会だったのでしょう。
主はフィラデルフィヤ教会にどのようなことを語られたのでしょう。
1.忠実な教会
主は、フィラデルフィヤ教会に「あなたには少しばかりの力があって、
わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかった」と言われました。
フィラデルフィヤ教会は、決して大きく力のある教会ではなかったのでしょう。
しかし、フィラデルフィヤ教会は忠実に御言葉を守り、主に対する信仰を守り通しました。
フィラデルフィヤ教会は「サタンの会衆に属する」「自称」「ユダヤ人」、
偽ユダヤ人たちからの迫害の中にあっても、迫害に屈することはありませんでした。
どんなに迫害されても、フィラデルフィヤ教会は、御言葉を忠実に守り行い、
主に対する信仰を捨てることなく守り貫いたのです。
10節では、「わたしの忍耐について言ったことばを守った」とも言われています。
フィラデルフィヤ教会は小さく、力がない教会でしたが、「忠実な教会」であったのです。
主が関心を持っておられることは、どれだけ力があるかとか、
どれだけ多くのことが出来るかとか、どれだけ大きいことが出来るかではなく、
どれだけ忠実であるかということです。
「少しばかりの力」であったとしても、忠実であることが大切なのです。
主は、私たちにもどのような状況においても主の御言葉を守り、
信仰を貫き通す忠実な教会となることを望んでおられます。
2.主からの報い
主は忠実なフィラデルフィヤ教会に対して三つのことを報いとして約束されました。
① 誰も閉じられない門が開かれる
主は、「だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた」と言われました。
聖書では「門」は宣教の機会を意味します。Ⅰコリント16:9。Ⅱコリント2:12。コロサイ4:3。
ですから、主はフィラデルフィア教会のために、福音宣教のための門を開いており、
誰もその門を閉ざすことは出来ないということであると理解出来ます。
また、「門」は人生の様々な機会と理解することも出来ます。
たとえば、進学、就職、結婚、主の働き、家族の救い、癒しなど。
主は私たちの人生を支配し、人生の様々な門を開いて下さいます。(7)
② 主の愛が知らされる
主は「サタンの会衆に属する」「自称」「ユダヤ人」についても語られました。
彼らは、スミルナ教会を迫害していた人々と同じ人々だったのでしょう。(黙示2:9)
フィラデルフィヤ教会も彼らからひどい言葉で悪口を言われたり、非難されたり、
また愚かだとか、能力がないとか、見下されていたのかもしれません。
主はフィラデルフィヤ教会が非難されて、悩まされ、苦しめられ、
恥ずかしい思いをさせられていることを知っておられました。
そして、主はフィラデルフィヤ教会のために立ち上がり、敵対者や迫害者と戦って下さり、
それによって主がフィラデルフィヤ教会を「愛している」ことを表して下さいます。
私たちも迫害者や敵対者(特にサタン)から悪口を言われ、非難され、見下され、
傷つけられ、恥ずかしい思いをさせられることがあるかもしれません。
しかし、パウロのように大胆に勝利を宣言することが出来るのです。ローマ8:33-39。
③ 試練の時に守られる
主は「地上に住む者たちを試みるために、
全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう」(10)と言われました。
この「全世界に来ようとしている試練の時」とは、「大患難時代」であると言われています。
聖書には、大きな患難の時が来ると預言されています。マタイ24:21、マルコ13:19、ルカ21:23。
これは、どのような迫害や困難の中でも信仰を忠実に守り通した者は、
大患難を免れることが出来るという約束です。
また、私たちの人生には様々な試練があります。
しかし、主は「試練の時には」私たちを守って下さるのです。Ⅰコリント10:13。
3.冠を奪われないように
主はフィラデルフィア教会に「あなたの冠をだれにも奪われないように、
あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい」(11)と語られました。
この「冠」(ステパノス)は勝利した者に贈られる「勝利の冠」、「栄光の冠」を表します。
どのような迫害や困難の中でも、最後まで忠実に信仰を守り通した信仰の勝利者には、
勝利と栄光の「冠」が与えられるのです。それは天において受ける称賛と報酬です。
いつまでも「しっかりと持って」いなければならないものとは何でしょう。
それは、「信仰」と「希望」と「愛」です。Ⅰコリント13:13。
まず、私たちは聖書的な信仰を持ち続けなければなりません。
それは、目に見えるものに依存したこの世的な信仰やご利益宗教的な信仰ではありません。
目に見えるものに依存せず、どのような状況にも変わることのない神様に対する信仰です。
また、主にある希望を持ち続けなければなりません。
どのような状況にあっても、疑ったり失望することなく、
主が私たちと共にいて、私たちを最善へと導いて下さると信じるのです。
さらに、神様に対する愛をしっかりと持ち続けなければなりません。
この世を愛するのではなく、神様を愛し、慕い求めるのです。
また、兄弟姉妹に対する愛もしっかり持ち続けなければなりません。
「フィラデルフィヤ」には「兄弟愛」という意味があります。
たとえ迫害や困難があったとしても、フィラデルフィア教会のように、
忠実に主の御言葉を守り、最後まで信仰を守り通す信仰の勝利者となりましょう。
その地道な歩みが、後に大きな報いを受けることにつながります。
Filed under: 伊藤正登牧師