Ⅰ 米国でのチャーチ オブ ゴッド教団の起こり

1. クリスチャンユニオンの結成~教会を越えたクリスチャンの一致を求めて

 

1886年8月、テネシー州モンローで、幾つかの教会から神様を求めて乾く8名の教職者達(バプテスト、メソジスト)が集まり、教団教派を超えたクリスチャンの一致を願いつつ、「クリスチャンユニオン」を結成し、リチャード G.スパーリング師がそのリーダーとなった。

チャーチ オブ ゴッド教団設立の基礎となるこの小さな集まりは、「クリスチャンユニオン」という名前に顕著に表されているように、当初彼らには教団設立の意図はなく、彼らはただ神によって贖われたクリスチャンの真の一致を求めて集まった。

 

2. ホーリネス教会の設立~リバイバルの体験、霊的混乱、そして教会設立

 

当時のホーリネスリバイバルの影響を受け、聖霊の火によるきよめを切に祈り求める中で、1896年約100名の人々が聖霊に満たされ、異言を語り、顕著な 神癒の業が現された。これは、教団としてのリバイバルの第一段階であり、急進的ホーリネス運動のリバイバルだった。すなわち、人々が心から聖潔を求めた中 での御業であり、彼らは異言を伴う聖霊のバプテスマや預言などの体験も全てホーリネス体験だと理解していたようだ。しかし、このリバイバルは周囲からの強 烈な迫害と霊的極端主義の嵐がグループの中に吹き荒れた結果、下火となってしまった。

1902年5月にクリスチャンユニオンの主立ったメンバーは自身のアイデンティティを確認し、将来の誤った教えによる混乱からグループを守るために、一地 域教会としての形を取ることにし、リチャードG.スパーリング師の息子であるR.G.スパーリング師を牧師として「キャンプクリークホーリネス教会」とい う名前の基にシンプルな教会としての働きを始めた。

 

3. チャーチオブゴッド教団の設立~A.J.トンリンソンの加入と教会の拡大

 

その後、1903年には後にグループの偉大なリーダーとなるA.J.トムリンソン師がグループに加入し、精力的な開拓伝道と教会建設が展開され、1906 年には本部をテネシー州クリーブランド市に移し、1907年に教団名を「チャーチオブ ゴッド」と改めた。彼らは、クリスチャンが地上において一致することを理念とし、バプテスト、メソジスト、ホーリネスという教義の大切な一面をグループの 名前とする代わりに「神の教会」建設を彼らの目的としたのだ。ここに1900年代初頭のペンテコステ運動の流れを汲む「アッセンブリーズオブ ゴッド」や「フォースクエアー」などの教団の名前が、神によって与えられた摂理の一面を見る。

 

4. ペンテコステの恵み~アズサストリートリバイバルの波及

 

また、同時期にアズサストリートのペンテコステリバイバルを体験した伝道者を迎えてリバイバル集会を開催し、著しい聖霊の傾注を体験した。この時にリー ダーであったA.J.トムリンソン師が初めて異言を伴う聖霊のバプテスマに満たされた。このリバイバル集会の翌年、1908年にクリーブランド市に驚くべ き霊的覚醒が起こった。非常に多くの人々が聖霊に満たされ、異言を語り、預言し、癒しをはじめとする奇跡が起された。そして、彼らはペンテコステの恵みに 押し出されて、アメリカ南西部を中心に数多くの「神の教会」建設に励んだのである。

また、彼らは米国全土のみならず、地の果てまでもという世界宣教のビジョンに燃やされ、1910年には最初の宣教師がバハマ諸島に遣わされた。そして、 1950年代にこの恵みは極東の日本へと及んだ。「聖霊を受ける時、あなた方は力を受けます。そして、あなたがたは、エルサレムとユダヤ、そしてサマリヤ の全土、及び地の果てにまで私の証人となります」という御言葉通りに、このグループはアメリカ南部テネシー州の田舎町クリーブランドから世界へとイエスキ リストの証人として聖霊に満たされ遣わされて出て行った。

 

5. 教団としての成長と拡大~救われる者が毎日仲間に加えられる

 

1940年代には、チャーチ オブ ゴッド教団は他の福音派の教会やペンテコステの各教団と協力関係を結び、その中心的な働きを担うようになった。この交わりの中で、聖書に基づく健全な聖化 や聖霊論の学びを深め、更にその福音宣教の働きを全米へと全世界へと押し広げていった。米国チャーチオブ ゴッド教団が世界的なペンテコステ及びカリスマ運動の交わりの中心とっているのは言うまでもなく、福音的プロテスタント教団各派やカトリック教会との超教 派神学的対話を通してキリスト教会全体の協力関係を模索している。これは「クリスチャンユニオン」結成以来からの願いなのである。

現在では、全米に6千を超える教会と80万人の信徒、そして米国以外の世界157カ国に2万5千以上の教会と500万人を超える信徒を数えるまでになっており、今も世界各地において「救われる者が毎日仲間に加えられて」いるのである。

 


 

 

Ⅱ 日本チャーチオブゴッド教団の起こり

 

1. 日本での宣教開始~ある一人の夫人の叫び

 

第二次大戦後、駐留米軍の中にチャーチ オブ ゴッドのクリスチャン達が日本人の救いを願って、聖書研究会や日曜学校を開いていた。その中にヘンリー・フラワーズ軍曹とその妻メアリー姉妹がいた。特に 妻のメアリーは日曜学校の働きを通して、120名を超える子供達をキリストへ導いていた。しかし、夫のヘンリーは朝鮮戦争で行方不明となってしまい、米軍 の命令で彼女は幼い自分の息子と共に帰国しなければならなかった。その時、彼女は切実な思いを込めて、米国チャーチオブ ゴッド教団本部(以降、米国教団本部と表記)に手紙を書き宣教師の派遣を要請した。

「私は主がこの事に立ち向かう強さと力をお与えになることを知っています。私への同情を表す事の出来る最も素晴らしい方法は、日本の宣教に関心を向け、私の代わりに宣教を担ってくださる誰かをここに送ってくださることです。…」

 

2. 日本COGの発足と最初の教会設立

 

この手紙が教団本部を動かし、1952年エド・ハイル師夫妻が最初の宣教師として来日した。既に日本で活躍していたアッセンブリーズオブ ゴッドの宣教師の助けを受けながら、日本での宣教活動を開始したが、言葉、文化、そして宗教などの壁に阻まれ開拓は困難を極めた。しかし、神様の恵みに よって1954年、8名の信徒と共に最初の教会を横浜市神奈川区に設立した。そして、翌年には宗教法人格を取得した。この後数年内に、ハイル師は自らの大 工としての賜物を十二分に主の為に捧げ、チャーチオブ ゴッド教団又はそれ以外の教団のためにも、数多くの教会堂を自ら建堂していった。

 

3. 横浜聖書学校 -The COG Yokohama Bible Institute- 設立

 

1961年には、横浜市旭区に横浜聖書学院を設立し、伝道者の育成に力を注いだ。ニュージーランドアッセンブリーズオブ ゴッドからの宣教師ロバート・ミジリー師が校長として、またオープンバイブル教団から山元篁師が舎監としてハイル師に協力したことは、学院にとって大きな祝福となり、ここで訓練を受けた多くの有能な伝道者達が今も日本の各地で主の尊い器として用いられている。

この聖書学院を卒業した情熱に燃えた教団に属する若い伝道者達が、主に神奈川県内において開拓伝道を始め、それらの6つの教会は今尚福音の為に機能し続けている。残念ながら、この聖書学院は1975年に諸種の困難な事情により閉鎖された。

 

4. 東京ユース・センター -The Tokyo Youth Center- 設立

 

1963年には東京ユースセンターが設立された。当時米軍基地(代々木ハイツ)で小学校教師として来日していたメアリーG.コーマン姉妹は英会話教室を開 いて日本の若者に伝道していたが、大好評で非常に多くの若者が集まっていた。しかし、1964年の東京オリンピック選手村建設のため、代々木ハイツは取り 壊されることとなり、メアリー姉妹とハイル師は米国教団本部に「ユースセンター」設立を要請してこれが認められた。米国チャーチオブ ゴッド教団の青少年局がYWEAという世界宣教プロジェクトとして東京ユースセンターの為に資金を集めてこれが建設された。

しかし、諸種の事情で宣教師達が次々と帰国しなければならなくなった時、チャーチオブ ゴッド教団本部はこのセンターをそれまでの英会話を通じての伝道の場ではなく、一つの地方教会として再出発することを決定し、1966年に下丸子シオン教会となり、初代牧師として八束和心牧師が招聘された。

 

5. 自立と働きの拡大

 

日本チャーチ オブ ゴッド教団の初代監督エド・ハイル師(1952-1966)、二代目監督エドワードE.コール師(1966-1977)がそれぞれ帰国した後は米国教団本 部から宣教師(兼監督)の派遣はなくなり、日本人牧師が監督として任命され、1977年以来八束師がその役割を務めて今日に至っている。

その時点での日本チャーチ オブ ゴッド教団の状況は、教会数6教会、12人の教職者、全体で120人程のメンバーだった。しかし、宣教師引き揚げ後も、日本人牧師と信徒たちは宣教に励 み、それぞれの教会で救われ、訓練された器が開拓して生まれた教会や教団に加わる教会も与えられ、現在は9教会、21人の教職者と520人程のメンバーが 与えられている。

 

6. 今後のビジョン

 

来年2002年には教団として日本宣教開始50周年を迎えようとしているこの時に、神は私達に新しい本部教会建設への道を開いてくださった。世を照らす灯 台としての「ライトハウスチャペル」として、多くの日本の滅び行く魂に福音の光を輝かせ、また更に多くの主の器たちを訓練して送り出していく群れとして、 主が導いてくださるよう心から願いつつ、新たな聖霊の満たしを求め続けている。

今なお、クリスチャン人口が1%にも満たないと言われている日本の現状を思う時、さらに日本のリバイバルの一端を担う栄光の「神の教会」建設を目指し、更に一歩一歩前進させて頂きたいと心から願うものである。