19.12.1.

ルカの福音書では、イエスの誕生の前に、バプテスマのヨハネの誕生が書かれています。この出来事から、祈りについて教えられることが3つあります。

1.祈りは聞かれている

ザカリヤは「祭司」(5)で、神殿で神を礼拝するための奉仕をしていました。ザカリヤの妻エリサベツも「アロンの子孫」(5)で、「ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行って」(6)いました。ある時、ザカリヤは、「くじ」(9)引きによって、神殿で香をたく役割が与えられました。ザカリヤが神殿の中で香をたいていると、突然御使いガブリエルが現れました。ザカリヤに御使いは「こわがることはない」(13)と語りかけ、ザカリヤとエリサベツに男の子が与えられると告げました。そして、その子は、神に特別に選ばれた子であり、胎児の時から聖霊に満たされ、やがて救い主のための道備えをするというのです。

ザカリヤとエリサベツは、共に年老いていましたが、子供はいませんでした。彼らは、結婚した時から、ずっと子供が与えられるように祈ってきたことでしょう。しかし、どんなに祈っても、その祈りはなかなか答えられませんでした。そして、ついに、子どもが与えられないまま、年を取ってしまい、もう子どもが産めない体になってしまったのです。もしかしたら、彼らは「どうして祈りが聞かれなかったのか」と、疑問を抱いたり、不満を言ってしまったこともあったかもしれません。しかし、神は、彼らの祈りをしっかりと聞いておられ、覚えておられたのです。

私たちも、なかなか祈りが答えられないと、「なぜ神は祈りを聞いて下さらないのか」と、疑ってしまったり、不平を言ってしまうことはないでしょうか。しかし、神は、私たちの祈りを聞いておられ、それを覚えておられるのです。ダニエルの祈りも(ダニ10:12)、コルネリオの祈りも(使10:4)聞かれていました。私たちは、神が私たちの祈りを聞き、必ず答えて下さることを信じなくてはなりません(ヘブ11:6)。

2.信じない者ではなく信じる者となる

ザカリヤは、御使いの言葉を素直にそのまま信じ、受け入れることが出来ませんでした。その理由は、彼が「もう年寄りで…妻も年をとって」(18)いたからです。ザカリヤは、子供を産むことが出来ないという現実だけしか見られなくなっていたのです。ザカリヤは、祭司でしたから、聖書の話もよく知っていたはずです。聖書の中には、不妊の女が奇跡的に子供を授かるという話がいくつもあります。特に、アブラハムが100歳、妻のサラが90歳の時にイサクを生んだことは有名です。しかし、ザカリヤにとって、その話は、単なる聖書の中の話であり、昔話であり、自分の人生とは無関係なものでしかありませんでした。ザカリヤは、忠実に神に仕えていましたが、神が自分の人生の中に、奇跡を起こして下さるということを信じ期待することはありませんでした。

ザカリヤは、御使いに「私は何によってそれを知ることができましょうか」(18)と尋ねました。彼は「年老いた妻が男の子を産むという証拠は何か」と「しるし」を求めたのです。目に見える「しるし」を求めるということは、もう信仰ではありません。ザカリヤは、その不信仰のゆえに、子供が生まれるまで、「ものが言えず、話せなく」(20)なるという罰が与えられてしまいました。御使いは、ザカリヤがこれ以上不信仰な告白をしないように、彼の口を封じたのです。

イエスの弟子トマスは、イエスが復活したということを聞いても信じませんでした。その1週間後、イエスは、トマスの前に現れて言いました。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」(ヨハ20:27) 「信じるなら、…神の栄光を見る」(ヨハ11:40)のです。

3.神の時を待つ

御使いはザカリヤに「私のことばは、その時が来れば実現します」(20)と言いました。祈りの答えは、「その時が来れば」必ず「実現」するのです。神は、私たちの祈りに答えて下さいますが、祈りの答えの「時間指定」はありません。祈りの答えが「いつ」与えられるのかは分かりません。しばしば、私たちは自分の願っている時や方法で神に働くように求めてしまいます。そして、自分の願い通りにならないと、「どうしてですか」と、神を疑ったり、神につぶやいたりしてしまいます。

しかし、神には私たちの考えをはるかに越えた大きな計画があります(イザ55:8-9)。その計画は災いをもたらす計画ではなく、将来と希望を与える計画です(エレ29:11)。神は、最善の時に、最善の方法で答えて下さるのです(伝3:11)。神の時は、早すぎることもなければ、遅すぎることもありません(ハバ2:3)。神には「計画」があり、神の定めておられる「時」があるのです。祈りの答えは、私たちの願っている時や方法によってではなく、神の時に、神の方法で答えられるのです。私たちは、忍耐をもって、ただ神の時を待ち続けなければなりません。

37~50章。ヨセフは、神から偉大な人になるという夢と幻が与えられました。しかし、ヨセフは兄たちに憎まれてエジプトに奴隷として売られ、偽証で訴えられて牢に入れられ、人から忘れ去られてしまいました。しかし、神は、ヨセフと彼に与えた夢と幻を忘れてはいませんでした。神の時が来た時、ヨセフは思い出され、牢から出され、エジプトの首相となりました。その間、約14年間、ヨセフは神の時を忍耐をもって待たなくてはならなかったのです。

 

神が私たちの祈りを聞き、必ず答えて下さることを信じましょう。また、現実的、常識的にどんなに不可能であっても、不可能を可能にして下さる全能の神を信じ、神に期待しましょう。ただし、神は、神の時に御業を現わして下さいます。その時を忍耐をもって、待ち望みましょう。

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