23.2.5.

「サムエルのことばが全イスラエルに行き渡ったころ」(1)、すなわちサムエルが預言者として、イスラエル全土に主の言葉を伝えていた頃のことです。ペリシテ人がカナン南西部の沿岸地帯の平地を支配していました。ペリシテ人は、ギリシアやクレタからカナンの地に渡って来た海洋民族で、ヨーロッパや北アフリカの地中海沿岸地域にも定住していました。また、ペリシテ人は、二頭立ての戦車や鉄の武器を持つ好戦的な強い民族でした。一方、エジプトを出て、シナイを巡り、ヨルダン川の東側からやってきたイスラエルは、カナンの内陸部の山岳地帯に定住するようになりました。イスラエルは、カナンの山岳地帯から沿岸地帯へと支配を拡大しようとしましたが、沿岸地帯から山岳地帯へと支配を拡大しようとしていたペリシテ人と対立していました。

ある時、「イスラエルはペリシテ人を迎え撃つために戦いに出て」(1) 行きました。しかし、「戦いが始まると、イスラエルはペリシテ人に打ち負かされ、約四千人が野の陣地で打たれ」(2)てしまいました。「イスラエルの長老たち」は、嘆いて言いました。「なぜ主は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう。」(3) そして言いました。「シロから主の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、それがわれわれの真ん中に来て、われわれを敵の手から救おう。」(3)

「主の契約の箱」は、「神の箱」(3:3)とも呼ばれる箱で、その中には、「マナの入った金のつぼ、芽を出したアロンの杖、契約の二つの板がありました」(ヘブ9:4)。「契約の箱」の上には「贖いのふた」が置かれ、ケルビムの像が2体向かい合わせて設置され、主はそこから語られました(出25:21-22)。この「契約の箱」は、シロにある主の宮(幕屋)の最も聖なる至聖所に置かれていました。

イスラエルの人々は、この「契約の箱」をペリシテ人との戦場に持っていけば、ペリシテ人に必ず勝利出来ると考えて、「シロ…から、ケルビムに座しておられる万軍の主の契約の箱をかついで」(4)来ました。そして「主の契約の箱が陣営に着いたとき、全イスラエルは大歓声をあげ」(5)喜びました。一方ペリシテ人は「主の箱が陣営に着いたと知ったとき」(6)、非常に恐れおののきました。しかし逆にペリシテ人は奮い立ち、勇敢にイスラエルと戦うようになりました(9)。その結果、「イスラエルは打ち負かされ、おのおの自分たちの天幕に逃げた。そのとき、非常に激しい疫病が起こり、イスラエルの歩兵三万人が倒れた」(10)のです。それだけではなく、「神の箱は奪われ、エリのふたりの息子、ホフニとピネハスは死ん」(11)でしまいました。

「エリは道のそばに設けた席にすわって」(13)、戦争の結果の知らせを待っていました。そこに「ひとりのベノヤミン人が、戦場から走って来て」(12)、「敗戦を知らせたので、町中こぞって泣き叫」(13)びました。その人は、エリに「イスラエルはペリシテ人の前から逃げ、…あなたのふたりの息子ホフニとピネハスも死に、神の箱は奪われました」(17)と告げました。ショックを受けた「エリはその席から門のそばにあおむけに落ち、首を折って死」(18)んでしまいました。こうして、祭司エリと二人の息子たちは、神の裁きを受けることになったのです。

その時、「ピネハスの妻は身ごもっていて、出産間近であったが、神の箱が奪われ」、エリと夫ピネハスが「死んだという知らせを聞いたとき、陣痛が起こり、身をかがめて子を産」みました(19)。しかし、あまりにショックだったので、「男の子が生まれましたよ」と言われても、「彼女は答えもせず、気にも留め」ませんでした(20)。彼女は、「栄光がイスラエルから去った」と言って、その子に「イ・カボテ」という名前をつけました(21)。「栄光はどこに」という意味です。

「栄光」と訳されているヘブル語「カーヴォート」は、「主の臨在の輝き」です。「主の臨在の輝き」「カーヴォート」は、モーセに燃える柴に現わされ(出3:3)、荒野を旅するイスラエルを導いた雲の柱、火の柱に現わされ(出13:21-22)、幕屋が完成した時にも現わされました(出40:34-35)。イスラエルが主の栄光、主の臨在を失ったということは、大変なことです。それは、心臓のない人間のようなもので、形はあっても命はなく、何の働きもしません。なぜ、イスラエルは、ペリシテ人に敗北してしまったのでしょう。なぜ、イスラエルから主の臨在が失われてしまったのでしょう。

イスラエルがペリシテ人との戦いに敗北した時、イスラエルの長老たちは言いました。「なぜ主は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう。シロから主の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、それがわれわれの真ん中に来て、われわれを敵の手から救おう。」(3) この言葉には、幾つかの問題点が見られます。

1.悔い改めがなかった

「なぜ主は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう」、「なぜ、自分たちが敵に負けてしまったのか」、という問いかけは、非常に重要でした。そして、彼らの出した答えは、「契約の箱」がないからだ、ということでした。しかし、イスラエルの敗北の原因は、「契約の箱」がないことではなく、イスラエル自身の中にあったのです。

この時代は、まだ士師の時代で、イスラエルの人々の心は、神から離れ、自分勝手な生き方をしていました。「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。」(士21:25) 彼らは、神に従った生き方をしていませんでした。

イスラエルの敗北は、イスラエルの不信仰と不従順に対する、神の裁きであったのです。イスラエルの長老たちが敗北の原因を問いかけた時、彼らは、主に対する不信仰と不従順に気付かなければなりませんでした。そして、彼らは、主の前に出て、悔い改めなくてはならなかったのです。

ヨシ7章。かつてイスラエルは、アイの町との戦いの時、惨めに負けてしまいました。その時、ヨシュアは、主の前に出て、なぜ敗北したのか問いかけて祈りました。主は、ヨシュアに、イスラエルの中に罪があるため、敗北したことを教えました。それで、ヨシュアとイスラエルは、悔い改め、その罪を取り除きました。その後、再びイスラエルがアイの町と戦うと、イスラエルが勝つことが出来たのです。

様々な問題や困難の中にある時、人間的な考えで、的外れな解決策をとるのではなく、主を求め、主の前に出て、自分に悔い改めるべき点がないか尋ね求めましょう。

「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。」(伝7:14) 「私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」(詩139:24)罪は、主との親密な交わりを断ち、主の祝福の流れをせき止めてしまいます。「あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」(イザ59:2)

私たちが主に正直に自分の罪を言い表すなら、主は赦して下さいます。「私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。セラ」(詩32:5)「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。」(箴28:13)「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(Ⅰヨハ1:9)

 

イスラエルは、ペリシテ人との戦いで敗北した時、主の前にへりくだり、自分たちの不信仰と不従順の罪を悔い改めることをしませんでした。その代わりに、人間的な考えや方法で、問題を解決しようとしたのです。すなわち、彼らは「契約の箱」を持って来れば勝てると思ったのです。今日、私たちも主を求め、主の御前に出て、自分自身の内に罪や悪、失敗や過ち、そのほか悔い改めることはないでしょうか。私たちが罪を告白し、悔い改めるならば、主は私たちの罪を赦しきよめて下さいます。

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