16.08.28

水から浮かび上がった斧の奇跡

Ⅱ列王記6:1-7

斧の頭を水の中に落とすという問題が発生してしまったとき、エリシャは木の枝を切って投げ入れ、斧の頭を浮き上がらせました。この奇跡から、問題が起きてしまったとき、どのようにすべきかを学んでみましょう。

1.問題が起こったとき、主を呼び求めよう。

神様に仕える預言者たちのグループは、エリシャとともに、自分たちの家を作るために、ヨルダン川で木を切り出すことになりました。皆がヨルダン川のそばで木を切っているとき、彼らのひとりが斧の頭を水に落としてしまいました。するとエリシャがその斧の頭を落とした場所を聞き出し、木の枝を切り、それを投げ込んだところ、斧の頭が浮き上がったのです。

彼らは神様に仕える人たちですから、木を切る作業も神様の働きでした。それなのに、斧の頭を落とすという問題が起きてしまったのです。私たちも、たとえ主の働きをする場合であっても、原因はさまざまですが、問題が起こり得るのです。しかし、主が共におられるのですから、私たちは慌てず騒がずつぶやかず、不平不満を言わず、ただ主を信頼し、主に助けをお願いすればよいのです。主は助けて下さいます(ピリピ4:6,7、Ⅰコリント10:13)。
エジプト軍に追われるイスラエルの人々に、主は「しっかり立って、主の救いを見よ」と命じられました(出エジプト14:13-14)。

2.イエス様の贖いにより解決される

エリシャは、斧が沈んでしまった時、木の枝を切り、水に投げ入れました。すると斧の頭が浮かび上がってきたのです。
自力では浮き上がれないものを、生木を投げ込むことで浮かび上がらせたのです。これには、霊的な意味がありました。私たちは罪に死んでいた者であって、決して自力では救われない者でしたが、神様の御子イエス様が、生木となって(ルカ23:31)、十字架で私たちのために死なれたことにより、私たちが救われたということを意味しているのです(エペソ2:1-8)。同様に、モーセも生木を投げ入れて、苦い水を甘くしましたが(出エジプト15:23-25)、これもイエス様の贖いを意味しています。

魂の救いだけでなく、私たちには解決できないような様々な問題も、イエス様の尊い犠牲のゆえに、神様から解決をいただけるのです(ローマ8:32、ヨハネ14:13-14、15:7、15:13、16:23-24)。神様に不可能はありません(ルカ1:37)。
このように、イエス様の贖いにより、私たちは救われましたし、様々な問題も解決されるのですから、様々な問題が起きたときも、主イエス様の御名によって祈り、命じ、宣言していきましょう。

3.問題が解決されたら、また主の家を建てる働きを続けよう

その人は斧の頭を拾い上げました。その後どうなったでしょう。斧の頭を柄に取り付け、これまで通り木を切り、運び、家を建てたことでしょう。私たちは、さまざまな困難を主の助けによって乗り越え、主の働きを継続させていかなければなりません。私たちは御国建設のため、教会での奉仕や伝道にますます取り組んでいきましょう(ハガイ1:8-11)。

私たちは主の働きをするときも、様々な困難に遭遇しますが、つぶやかず、主に信頼して主からの解決をいただきましょう。そして再び主の働きに取り組む者となりましょう。

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