これまでの歩み


1986年3月、開拓伝道の志が与えられていた伊藤正登牧師は、神学校を卒業するとすぐに伝道地として示された湘南台に家を借りて移り住みました。その家は小さいながらも祈り求めていたとおりの伝道するのに相応しい物件でした。

当初は、瀬谷キリスト教会のブランチとしての働きでした。最初に始められた伝道は子どもを対象とした「公園伝道」でした。湘南台の幾つかの公園を回り、そこで賛美やゲーム、聖書の紙芝居をしました。そして、自宅を開放しての「こども会」が行われ、部屋にいっぱいの子どもたちが集まるようになりました。また、中学生を対象にした英数塾も始められ、中学生たちに勉強だけではなく御言葉も教える機会が与えられました。やがて近くに住む瀬谷からの兄弟姉妹たちと共に祈り会も始められました。その年の10月に、伊藤師は伸子師と結婚し、共に働きをするようになりました。こうして、開拓伝道が始められ、教会設立への準備が整えられることになりました。

1987年9月、「湘南台クリスチャン・フェローシップ教会」として自宅を開放して聖日礼拝が始められました。この時、瀬谷キリスト教会からの開拓団として有志7名の兄弟姉妹たちが加えられました。開拓初期から心を同じくする仲間が与えられたことは、伝道と教会形成のために非常に大きな力となりました。始めのうちは地域に教会の存在を知らせるために、精力的に教会案内が配布されました。聖日礼拝が始められてから約3ヶ月後、教会のためにテナントが借りられるようになりました。そこは、ラーメン屋の二階の小さな部屋でしたが、祈り求めていたとおりの物件でした。

1988年1月、新しい場所を教会としてささげる献堂式が祝福の内に行われました。この後、すぐに信仰によって隣の部屋も借りることになりました。教会での集会も、聖書の学び会、コーヒータイム、中学生会など、さらに本格的に教会活動が進められ、少しずつ教会に加わる人々も与えられていきました。地域への伝道の一つとしてバザーが開催されたり、海外宣教の働きへの具体的な参加として中国宣教旅行が企画されました。クリスマスにも、婦人ランチョンや伝道を目的とした祝会が行われました。教会の拠点となる場所が確保されたことによって、伝道や教会形成が非常に大きく進展しました。

ある時、南米人が教会に来るようになり、彼らのために日本語クラスが始められました。当時、その取り組みは全国的にも珍しく、朝日新聞などにも記事として取り上げられました。次第に礼拝に集う南米人たちが多く起こされるようになり、初めのうちは日本人と一緒に礼拝を守っていましたが、人数が増えてきたため、1991年からスペイン語礼拝が始められることになりました。南米人たちを受け入れたことは、教会の発展のために大きな祝福となりました。

1997年の秋、教団所有で伊勢原にある教会堂が長年閉鎖されたまま、お化け屋敷のように朽ち果てているのを見て、心を痛め、何とかしなくてはと思い、祈り始めました。初めは教会の内部と庭を奇麗に整備したり、庭に花や野菜を植えたり、小さな集いをもったりしました。そして、2000年5月、神の不思議な導きによって、自分たちで建物を解体し、再建することになりました。この建設のために、湘南台の会堂建設のために蓄えた資金を全てささげてしまいました。会堂は翌年2月に完成し、3月に献堂式を行い、「伊勢原ガーデンチャペル」としてスタートしました。伊勢原の教会の再建には様々な困難や試練もありましたが、このことは湘南台の教会に大きな祝福をもたらすものとなりました。

2000年の12月から、主の導きによって、フィリピン人を中心とするMCM(Miracle of Christ Ministry)が私たちの教会で礼拝を始めることになりました。これによって、日曜日は、午前中に日本語の礼拝、午後に英語とタガログ語の礼拝、夕方にスペイン語の礼拝という三つの礼拝がもたれるようになりました。こうして、人とのコミュニケーションのネットワークがさらに広げられることになりました。

やがて教会は少しずつ成長し、会堂には人が入りきれないほど多くなり、教会の活動にも限界がきてしまいました。会堂建設は開拓当初からの祈りの課題でしたが、2004年4月、不動産屋から現在の物件が紹介されました。それは祈り求めてきた通りの物件でした。ネヘミヤ2:20の御言葉が与えられて、主の御心であると確信し、その物件の購入に踏み出しました。その前年に瀬谷キリスト教会は会堂建設で八千代銀行から融資を受けましたが、私たちの会堂建設でも八千代銀行から融資を受けることとなり、経済的な問題も乗り越え、12月に物件が引き渡されました。2005年3月から自分たちで建物内部の解体を行い、一ヵ月後に建設会社が改装工事に入り、6月に完成引渡しとなりました。そして、7月に献堂式が行われ、「湘南セントラルチャーチ」という新しい教会名でスタートしました。この教会名は、使徒1:8にあるように、聖霊の力によって全世界に福音を伝えるセンター的な教会となるというビジョンのもとにつけられたものです。


2006年10月に川口で行われた聖霊世界宣教大会でルーマニア宣教師の川井勝太郎師と出会い、ルーマニア宣教にも関わるようになり、2010年からは川井師の支援会事務局をおくようになりました。2008年からは次世代育成の必要性を強く迫られ、ユースの育成と伝道を強調するようになり、ライブコンサートやユース会も行われ、今日ではユース礼拝が行われ、ユースの活動が活発になされるようになりました。2011年3月11日の東日本大震災の後、教団は岩手県大槌町への復興支援活動へと導かれ、2012年に地域支援センター「大槌ジョイフルハウス」が設立されました。やがて大槌ジョイフルハウスの働きは、伊藤師と湘南セントラルチャーチに委ねられ、2013年に伊勢原ガーデンチャペルから杉浦一家が、2015年に後任として湘南セントラルチャーチからミジェル一家が派遣され、2016年に大槌ジョイフルハウスは教会としての働きを始めました。これと並行するように、2011年11月から埼玉県春日部市在住の湘南セントラルチャーチの教会員の家で月に一回の家庭集会が始められ、このグループは「春日部グレイス」と名付けられました。今日では毎週礼拝がささげられるようになり、教会形成へと進んでいます。
これからも、湘南セントラルチャーチは、地域に、日本全国に、そして全世界に向けて福音を宣べ伝えていく教会となります。