17.05.28

狭い門から入りなさい

マタイ7:13-14

祝日になると観光地に人々が押し寄せ、交通渋滞と混雑と騒音で、まったく楽しめなかったという話はよく聞きます。みんなと同じということが正しいとは限りません。「狭い門から入りなさい」というイエス様のおことばから、とても重要なことを学びましょう。

1.滅びに至る大きい門

狭い門と大きい門があります。狭い門は永遠のいのちに至る道の門であり、その道は狭く、それを見出す者はまれです。一方大きい門は地獄に至る道の門で、その道は広く、多くの人がその道を歩んでいます。

多くの人々は、この地上で自分の幸せのみを追い求め、この世の楽しみや、美しいもの、かっこいいものを追い求めているのです。普通の人の道に見えても、最終的には滅びに至ります(箴言14:12)。どんなに地上で満足のいく人生を得たとしても、まことのいのちを失っては何もなりません(マタイ16:26)。神様のみこころを求めて歩むことが大事なのです。

2.いのちに至る狭い門

いのちに至る狭い門とはイエス様のことです(ヨハネ10:9)。この門に入る方法は、イエス様を自分の救い主として信じることです。自分の罪のために十字架で死なれ、3日目に甦り、今も生きておられる救い主と信じることです。そのとき私たちの罪は赦され、救われます。

私たちは神様と共に歩み、最終的に神の国にて永遠に生きることができます。これが救いの達成(ピリピ2:12)です。イエス様を信じて救われた後も、天の御国に入るまでは苦しいこともあります。その間、私たちは信仰の道を歩み続け、信仰面において、品性において、成長していく必要があります(エペソ4:12-15)。やがてキリストの身丈にまで成長していくのです。いつもイエス様を見上げ、栄光から栄光へと変えられて行きましょう(Ⅱコリント3:16-18)。

3.いのちに至る門であるイエス様を伝えよう

私たちが地上で生きている間、もう一つの使命があります。それは人々に救いに至る門であるイエス様を伝えていくことです。私たちはすでに、この狭き門を見つけています。これを人々に伝えていかなければならないのです。それが門を見つけた者の使命です。人々は聞いてくれないかもしれませんが、それでも伝えていかなければなりません。この責任は私たちにあるのです(エゼキエル33:7-9)。

この門は近いうちに閉じてしまいます。門が閉じられてしまうと、入りたくても入れません(ルカ13:24-30)。今は恵みのときであり、救いの道は開かれていますが、まもなくそれは終わりになります。与えられた時間は多くはありません。この時間に何をするか、一番大事なことに励むべきなのです。

多くの人々が滅びに至る道を進む中、私たちは狭い門へと導かれました。門が閉ざされる前に、イエス様の似姿へと成長し、自らの救いを達成させるとともに、救いの門であるイエス様を宣べ伝えてゆきましょう。

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