16.8.14.

真の礼拝者となる

ヨハネ4:23-24

神様は、「霊とまことによって礼拝」する「真の礼拝者」を求めておられます。

1.霊による真実な礼拝

「霊とまこと」によるとは、「霊」すなわち「まこと」(真実)による礼拝という意味です。
その礼拝は、エルサレムの神殿で行われていたような、
形式的な礼拝、表面的な礼拝、見せかけの礼拝ではありません。
単に儀式やプログラムを行うことでも、ただ楽譜通りに歌うことでもありません。
「霊」すなわち「まこと」(真実)による礼拝とは、私たちの「霊」による「礼拝」です。
「霊」によって神様を礼拝する礼拝が、真実な礼拝なのです。
私たちが神様を知り、神様を礼拝するためには、ある程度の知識も必要です。
しかし、私たちは、単なる言葉や知識だけでは、
本当に神様を知ることも、神様を礼拝することも出来ないのです。
単に聖書を沢山読んだから、また勉強したからということで、
神様を知り、神様を礼拝出来るようになる訳ではありません。Ⅰコリント2:14
私たちは、私たちの「霊」によって、本当に神様を知り、神様を礼拝する者となるのです。
逆に言うと、たとえ知識が十分無くても、
「霊」によって、神様を知り、神様を礼拝する者となることが出来るのです。
私たちの「霊」が神様を知り、神様を礼拝するようになるためには、
神様の霊である聖霊の働きかけが必要です。
マタイ16:17。ローマ8:15。Ⅰコリント2:10-11、12:3。ピリピ3:3
ですから、パウロがエペソ教会の信者のために、「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、
すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、
あなたがたに与えてくださいますように」(エペソ1:17)と祈ったように、
私たちも、聖霊によって、「知恵と啓示」が与えられるように祈ることが必要です。
私たちは、「真理の御霊」(ヨハネ14:17)と呼ばれる聖霊が、
私たちをすべての真理に導いて下さるように(ヨハネ16:13)祈らなくてなりまません。
聖霊の働きによって、「霊とまことによって」神様を「礼拝」する者となりましょう。

2.神様の民として礼拝する

教会には様々な働きがありますが、教会の働きにおいて、礼拝は中心的な存在です。
教会の第一の務めは、神様を礼拝することです。
イスラエルの民が40年間、荒野の旅をしている間、
イスラエルの12部族は、幕屋を中心に宿営する配置が決められていました。民数2章
幕屋は、いけにえがささげられた場所で、神様を礼拝する場所でした。
また幕屋は、神様が住まわれる場所であり、神様の臨在を示すものでした。出エジプト25:8
さらに、幕屋は、神様が人にお会いする場所でした。出エジプト25:22
ですから、幕屋は「会見の天幕」とも呼ばれました。
この幕屋が、イスラエルの宿営の中心にあったということは、
神様を礼拝する場所がイスラエルの中心にあったということです。
そして、そこでは、神様の臨在が迎えられ、神様との出会いがありました。
このイスラエルの民の宿営の配置は、今日、イエス・キリストの血によって贖われ、
神様の民となった教会において、何が中心であるかを教えています。
それは、「神様を礼拝し、神様の臨在を迎え、神様にお会いすること」です。
それゆえ、私たちは、神様を礼拝することを最も大切なこととしなければならないのです。
勿論、福音宣教は大切な教会の使命ですが、
福音宣教は神様を礼拝することから生み出されていくものなのです。
神様を礼拝することが、神様を愛することであるなら、
福音宣教は、隣人を愛することです。まず、神様を愛することが大切です。
さらに、礼拝は、私たちクリスチャンの生活の中心にあるべきです。
すなわち、神様を礼拝することが、私たちの生活の中心でなければなりません。
私たちの信仰生活は、礼拝から始まり、礼拝に至る歩みです。
私たちは、どれだけ礼拝を大切なこととしてとらえているでしょうか。
神様を礼拝することは、選択(option)ではなく、義務(duty, responsibility)です。
神様を心から愛し(申命6:4-5)、敬う気持ち(畏れ)( 伝道12:13)をもって、
神様を礼拝することを大切にしているでしょうか。
a) 礼拝を守ることを大切にする
礼拝が守れるようなスケジュールを立てましょう。礼拝を生活の中心にします。
礼拝の時間を最優先にして、仕事、家庭、勉強、交際などの時間を配分します。
b) 礼拝に遅れない
兄弟姉妹たちと共に、最初から礼拝に参加することが大切です。
礼拝に遅れて来たり、ギリギリに来るのではなく、余裕をもって来ましょう。
c) 賛美とメッセージに集中する
礼拝では、神様を賛美すること、祈ること、メッセージを聞くことに集中します。
私たちの神様に対する姿勢が、礼拝で表されるのです。
礼拝での態度が、神様に対する私たちの態度の表れなのです。

神様は「霊とまことによって礼拝」する「真の礼拝者」を求めておられます。
それは、神様が私たちの礼拝を必要としているからではありません。
神様は、私たちが礼拝しなくても、存在することがお出来になります。
しかし、私たち人間には神様を礼拝することが必要なのです。
私たちが神様を礼拝することによって、神様の臨在の中で神様にお会いし、
霊的な命と力をいただき、御心に従って生きることが出来るようになるからです。
私たち人間は、神様を礼拝して生きるように造られているのです。
「霊とまことによって礼拝」する「真の礼拝者」とならせていただきましょう。