2015.2.1
真の礼拝者となろう
ヨハネ4:19-24
イスラエルを観光旅行すると、イエス様の十字架の跡や葬られた墓など、たくさんの重要ポイントを見ることができます。そして世界中から大勢の人々が現地を訪れ、主を礼拝しています。とてもすばらしい礼拝の場所ですが、では、私たちもそこに行って礼拝すれば真の礼拝者になれるのでしょうか。
1.エルサレムで礼拝すればよいというものではない
このサマリヤの女はイエス様に、神様を礼拝する場所を尋ねました。すると「この山でもなく、エルサレムでもない」(ヨハネ4:21)と主は答えられました。私たちがイスラエルに行って十字架跡や、葬られ甦られた墓穴のところまで行ってもイエス様に会うことはできません。なぜならイエス様は甦られたからです(ルカ24:1-8)。
現地では、イエス様の葬られた墓に入ろうと大勢の人が行列をなしていますが、そこは空っぽなのです。大切なことは、そこで主がすばらしい御業をなしてくださったということや主が甦られたということを確認できるということであり、神様のみことばの意味を一層はっきりとわかるということなのです。
2.真の礼拝者になろう
神様を礼拝するためには、場所や儀式などの外面的なものが重要なのではありません。それらは副次的なものなのです。大切なことは、霊とまことによって神様を礼拝することなのです。なぜなら神様は霊だからです(ヨハネ4:23-24)。
「霊とまことによって礼拝する」ということは、ローマ12:1-2にあるように、自分のからだを聖い、生きた供え物としてささげるということです。
① イエス様を信じよう
心からイエスキリストを信じ、受け入れるとき、イエス様の贖いにより、私たちの霊は神様との関係を回復し、神様との関係において生きるようになります。そして聖霊によって心からの礼拝をささげるとき、生きた供え物となるのです。
② 行動に表そう
自分のからだを神様にささげるということは、気持ちだけではなく、実際に信仰を行動に表すことです。神様に信頼し、みことばに従って歩むことです。
③ 神様のみこころを求めよう
この世と調子を合わせず、神様のみこころに従って生きるということは、この世の楽しみを求めて生きるのではなく、自分の理想を求めて生きるのでもなく、あるいは、問題にぶつかったときに、思い悩んだりするのではなく、神様のみこころを求めて生きることです。
④ 心の一新によって自分を変えよう
神様が自分を自動的に造り変えて下さるからそれまで何もしないという受身ではなく、積極的にみことばに従い、自分で自分を変えていくことが大切です。
神様は真の礼拝者を求めておられます。私たちも霊とまことによって礼拝し、真の礼拝者となりましょう。そのためには、日本の教会でも、毎週の礼拝でも、自宅でも、霊とまことによって礼拝する者となりましょう。
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