
200628
世の中には大金持ちになったり、成功する人たちがいます。私たちはそのような人々をうらやましく思ったりすることはないでしょうか。しかし、聖書はそれよりももっと大切なことがあると教えています。それは何でしょうか。
1.神との関係を大切にする
最初の人アダムと妻エバからカインとアベルが生まれました。カインは土を耕す者となりアベルは羊を飼う者となりました。ある時カインは地の作物から神にささげものをしましたが、アベルは羊の初子の最上のものをささげました。神はカインのささげものに目を留めず、アベルのささげものに目を留められました。そこでカインはアベルをねたみ、怒り、殺してしまいました。そしてカインは神から離れ、ノデに住み、町を建てました。カインの子孫にレメクという権力者が現れ、その子供たちはそれぞれの分野の先祖になりました。ヤバルは天幕に住む者、牧畜業の先祖となり、ユバルは音楽家の先祖となり、トバルカインは鍛冶屋の先祖となりました。カインの子孫は神を求めず、この世の富や楽しみを求め、文明を築き、人間中心の社会を築いていきました。
神はアダムとエバに、アベルの代わりとしてセツという息子を与えられました。セツにはエノシュという息子が与えられましたが、そのときから主の御名によって祈ることを始めました。セツたちは神を求め、神との関係を大事にし、信仰の道を歩みました。
セツの子孫は神中心に生きたので、祝福を代々受け継ぎました。セツの子孫からノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、ダビデ、イエス様へと続きます。セツの家系には神の祝福が続いていきました。
カインの家系は人間の役に立つさまざまなものを作り出しましたが、神の祝福を受け継がなかったので、この後起こる大洪水により絶滅してしまいました。
世の中の人たちがそれぞれの分野で成功しているのを見ると、うらやましく思うかもしれませんが、たとえこの世界で繁栄し、成功しても、それは一時的な繁栄・成功であり、永遠に続くものではありません。しかし、神を信じ、神と共に歩むことが本当の幸いであり、永遠に続くものなのです。私たちはセツたちのように、神を信じ、神と共に歩む者になりましょう(Ⅱコリント4:18)。
2.主に祈り、主を呼び求め、礼拝する
神中心に生きていくには、神との関係を大事にしなければなりません。セツたちは神との関係に生きるために、エノシュが生まれたときから主の御名によって祈ることを始めました。私たちも神との関係に生きるために、主の御名によって祈ることが必要です。「主の御名によって祈る」には多くの解釈があります。
a) 祈ること
神との関係を大切にするために必要なのは祈りです。祈りは霊的な呼吸です。祈りによって神と交わり、聖霊によって霊的ないのちと力が与えられます。絶えず祈りましょう(Ⅰテサロニケ5:17)。また、イエス様の御名によって祈りましょう。そのとき祈りは神に届き、主の御名によってかなえられ、また救われます(使徒4:12、ヨハネ14:6、14:13)。
b) 呼び求めること
セツのした「祈る」は、原語ではカラア「呼ぶ」という言葉です。「エノシュ」には「病弱」の意味もありますが、歳をとってやっと与えられた息子が病弱だったのかもしれません。あるいはカインの子孫たちから苦しめられていたのかもしれません。私たちも問題や困難があり、弱さを感じることがありますが、神を呼び求めましょう(詩篇50:15、詩篇91:15、エレミヤ33:3)。そのとき力が与えられます(イザヤ40:31)。
c) 主を礼拝すること
セツたちは「主の御名によって」祈りましたが、主の御名YHWHをまだ知りませんでした。主の御名はモーセに知らされました(出エジプト6:3)。モーセは創世記の中で、アブラハムが神様を礼拝することを「主の御名によって祈る」と表現しました(創世記12:8、13:4)。ですから、主の御名によって祈るとは、主を礼拝することと思われます。
礼拝とは単なる儀式やプログラムではありません。神は霊とまことによって礼拝する者を求めておられます(ヨハネ4:23-24)。私たちも心から主を礼拝しましょう。私たちも神との関係を大事にするため、イエス様の御名によって祈り、主を呼び求め、礼拝していきましょう。
私たちはこの地上で大きな富も権力もなく、人々を引き付けるような魅力もないのですが、もっと素晴らしい神を知っていて、神の御子イエス様の御名によって祈ることができるのです。神を信じ、神との関係の中に歩むことこそ素晴らしい恵みです。そのために、私たちは祈りと礼拝に励みましょう。家族で礼拝したり、「祈りの家」で祈ることも続けましょう。主は私たちの祈りを聞いてくださいます。
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