神中心の生き方をする
創世4~6章
21.11.7.
アダムから「カインの家系」と「セツの家系」という二つの家系が起こされました。「カインの家系」は「人間中心の生き方」をした家系で、「セツの家系」は「神中心の生き方」をした家系でした。
1.カインの家系 : 人間中心の生き方
カインは「地の作物」を、アベルは「羊の初子の中からそれも最上のもの」をささげました。すると、「主はアベルとそのささげ物とに目を留められ」ました(創4:3-4)。神は、罪が赦されるために、動物のいけにえを義務付けておられました(レビ4:35、5:10)。「血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはない」からです(へブ9:22)。アベルのささげ物は、血を流すいけにえであったので受け入れられたのです。しかも、「羊の初子の中から」「最上のもの」でした。アベルのささげ物は、神の小羊としてささげられたイエス・キリストの予表でした。バプテスマのヨハネは、イエスを「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハ1:29)と呼びました。
しかし、カインは、なぜ自分のささげ物が受け入れられなかったか理解出来ませんでした。カインは「ひどく怒り」(6)、アベルに「襲い掛かり、彼を殺し」(8)てしまったのです。主は、カインに悔い改める機会を与えられましたが、彼は悔い改めませんでした。創4:16 には、その後、「カインは、主の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた」とあります。結局、カインは、悔い改めることなく、神と共に歩む生き方を捨ててしまいました。こうして、カインは、神無しの人間中心の生き方をする最初の人となりました。そして、カインの子孫は、人間中心の生き方をする家系となったのです。「カインは町を建て」(17)ましたが、それは神からの独立を意味するものでした。
神と共に歩む生き方を捨てたカインの家系から、人類の文明が形成されました(創4:17-24)。「ヤバル」が「家畜を飼う者の先祖となった」とは(20)、第一次産業の農業の始まりを意味します。「トバル・カイン」が「青銅と鉄のあらゆる用具の鍛冶屋であった」とは(22)、第二次産業の工業の始まりを意味します。「ユバル」が「立琴と笛を巧みに奏するすべての者の先祖となった」とは(21)、第三次産業のサービス業の始まりを意味ました。こうして、カインの家系は、都市文明を築き、繁栄し、豊かになっていきました。しかし、その文明は、神無しの文明、人間中心の文明でした。カインの子孫は、益々神から離れ、この世の富と快楽を求め、堕落していきました。
その結果、人間は、神に裁かれ、洪水によって、滅ぼされてしまいました。神無しの人間中心の文化は、最終的には滅ぼされてしまうのです。現代の社会も神無しの人間中心の文化です。現代の人々も神を無視して、欲望のままに生き、堕落しています。この社会の行き付く先は、滅びです。この世界は、神に裁かれ、滅ぼされます。
2.セツの家系 : 神中心の生き方
カインによってアベルが殺された後、アダムとエバには、もう一人の男の子が生まれました。「セツ」です(創4:25)。セツにも「男の子が生まれ」、「エノシュと名づけ」ました(26)。「エノシュ」とは、「壊れやすい、癒されない」すなわち「弱い」という意味です。セツは、自分たちが弱い存在であることを認めたのです。だから、「そのとき、人々は主の御名によって祈ることを始めた」(26)のです。祈りは、自分の弱さを認め、へりくだることから始まるものです。
セツの家系は、人間の弱さを十分に認識し、神の前にへりくだり、祈る家系となりました。5章の系図には、アダムからノアまでの10代が記されています。セツの家系の特徴は、信仰の継承がしっかりとなされているということです。5代目の「マハラエル」(5:15)の名前の意味は、「神への賛美」です。7代目の「エノクは神とともに歩んだ」(5:24)と書かれています。10代目の「ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ」(6:9)と書かれています。こうして、セツの家系は、神に対する信仰、神中心の生き方を子孫に継承しました。「セツ」という名前には「基礎、土台」といった意味があります。セツは、神中心の生き方をする人々、神と共に歩む者の基礎、土台となったのです。
この後、セツの家系から、アブラハムが生まれ、イスラエル民族が形成されました。イスラエル民族は、アブラハムの子孫であり、セツの家系の中にあります。イスラエル民族は、神無しの人間中心の生き方がされている世界の中で、セツの家系の中にある者として、神中心の生き方をする使命が与えられています。それによって、神の栄光を表すためです(イザ43:7)。今日のイスラエルは、神から離れ、人間中心の生き方をし、神に敵対していますが、それでもイスラエルに対する神の愛と計画は変わりません(ロマ11:28-29)。神は、イスラエルが本来の使命を果たしてほしいと願っておられます。ですから、私たちは、イスラエルがその使命を果たすことが出来るように、執り成し祈らなければならないのです。
私たち異邦人クリスチャンも、イエス・キリストに対する信仰によって、ユダヤ人と同じ「アブラハムの子孫」とされました(ガラ3:7)。私たちもキリストの十字架の贖いによって、イスラエル民族と同じ「神の民」とならせていただいたのです(Ⅰペテ2:9-10)。私たちもイスラエルの民と同じように、セツの家系にある者として、神中心の生き方をして、神の栄光を表す使命が与えられているのです。
私たちは、この世の神無しの人間中心の生き方の影響を受けてしまっていませんか。心が神から離れ、この世の繁栄、富、楽しみを求め、欲望のままに生きていませんか。いつの間にか神中心の生き方ではなく、人間中心の生き方になっていないでしょうか。エノクやノアのように、神と共に歩みましょう。神中心の生き方をし、神の栄光を表しましょう。伝12:13-14。マタ6:33。
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