20.6.14.

主は、私たちに「いつも喜んでいなさい」、「絶えず祈りなさい」、「すべての事について、感謝しなさい」と語っておられます(Ⅰテサ5:16-18)。これら3つの事柄は、クリスチャンがとるべき態度と言えます。今日はこの中から、「絶えず祈りなさい」ということについて学びます。「絶えず祈る」とはどういうことなのでしょうか。

1.いつでもどごても主に語りかける

「絶えず」という言葉は、ギリシヤ語で「絶え間なく」という意味の言葉です。そして、この「絶え間なく」という言葉は、古代ローマでは、「しつこい咳に苦しめられている状態」について使われました。仕事中であっても、勉強中であっても、黙っていても、喋っていても、起きていても、横になっても、何をしていても、咳が出る状態のことです。同じように、「絶えず祈りなさい」というのは、仕事中でも、勉強中でも、何をしていても、主に語りかけることです。

単に目を閉じて、手を組んで、跪き、祈りの姿勢をとることが祈ることではありません。祈りは、主に語りかけることです。主は、私たちの目では見えませんが、私たちと共におられます。そして、主は、どんなに小さな祈りでも、呟きのような祈りでも聞いて下さます。それは、「主よ感謝します」とか「主よ助けて下さい」という短い言葉かもしれません。しかし、主は、どのような祈りにも耳を傾け、聞いて下さるのです。

このように、私たちは、いつでも、どこでも、主に語りかけ、祈れるのです。いつでも、どこでも、主が私たちの祈りを聞いて下さるということは素晴らしい恵みです。ネヘミヤ記を記したネヘミヤは、祈りの人でした。ネヘミヤは、事ある毎に祈りました(1:4、1:6-11、2:4-5、4:4-5、4:9、5:19、6:9,14)。私たちも、いつでも、どこでも、主に祈り、語りかけましょう。

2.主との親密な交わりを持つ

イエスご自身も、父なる神との祈りの時を持ちました。「イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられ」(マコ1:35)、「よく荒野に退いて祈っておられ」(ルカ5:16)ました。その他にも、イエスは、弟子を選出する際にも山で徹夜で祈り(ルカ6:12)、

5000人の給食の奇跡の後にも山で祈り(マタ14:23)、十字架にかかられる前の晩にゲッセマネの園で祈られました(ルカ22:39-42)。

なぜ、神の御子であり神ご自身であるイエスは、祈る必要があったのでしょうか。それは、単に願い事をするためではなく、父なる神との交わりを持ち、父なる神の御心に従って歩むためだったのです。祈りは、主との会話であり、祈りによって、主と親しく交わることが出来るのです。そして、主との親しい交わりの中で、慰められ、励まされ、力強められます。ですから、祈れば祈るほど、信仰が強められ、燃やされるのです。それは、私たちが主の御心に従って歩むための原動力となります。私たちは、いつでも、どこでも、主に祈ることが出来ます。しかし、日々主との親しい交わりを持つために、特別に祈りの時を持つことも必要です。

今日、私たちは忙しい生活を送っています。この忙しさのために、主との交わり、祈りの時がおろそかになっていないでしょうか。「マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず」(ルカ10:40)にいましたが、マリヤは、ただ「主の足もとにすわって、みことばに聞き入って」(ルカ10:39)いました。マリヤは、心からイエスを愛し、イエスとの交わりを持ちたかったのです。私たちも、日々、主を慕い求め、主との親密な交わりの時、祈りの時を持ちましょう。

3.失望せずに忍耐して祈り続ける

ロマ12:12には、「望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい」とあります。エペ6:18には「どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、祈りなさい」とあります。聖書は、どのような時、どのような状況の中でも、失望することなく、忍耐をもって、粘り強く祈り続けるようにと教えています。

イエスは、「いつでも祈るべきであり、失望してはならない」(ルカ18:1)と言われ、祈り続けることの大切さを「不正な裁判官」(2-8)のたとえ話をもって説明されました。良いお方である神は、「日夜神を呼び求めている選民」の祈りに応えて下さいます。また、イエスは「真夜中の友人」(ルカ11:5-10)のたとえ話をもって、祈り続けることの重要性を説明されました。そして、イエスは言われました。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」(ルカ11:9)。

使12:1-17。ペテロが捕らえられ、翌日、処刑されようとしていた時、絶望的な状況の中でも、「教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた」(使12:5)のです。その結果、ペテロは、御使いによって、奇跡的に牢から解放されました。。四方八方ふさがっていて、望みが持てないような状況でも、天はいつでも開かれています。祈りの答えを見るまで、失望したり、諦めることなく、忍耐をもって祈り続けましょう。

 

祈りは、御言葉と並んで、信仰生活に欠かすことのできない重要な要素です。御言葉は「霊的な糧」であり、祈りは「霊的な呼吸」にたとえられます。残念ながら、多くのクリスチャンは、「霊的な息」を長い間止めています。日常生活のあらゆる場面で、いつでも、どこでも主に語り掛け、祈りましょう。主との親密な交わりの時、祈りの時を持ちましょう。どのような時にも、失望せずに、忍耐をもって、祈り続けましょう。