15.3.1.

聖霊の風を迎えよう

ヨハネ3:8

イエス様はニコデモに人が新しく生まれ変わるのは、
聖霊の働きによるのであって、それは「思いのままに」吹く「風」のようであり、
それがどのようにして起こるのかということは誰も分からないのだと語られました。
聖書の中で「風」も「息」と同様に「聖霊」を表しています。
聖霊は人格をもった神様であり、意思や感情を持たれ、
「思いのままに」、「みこころのままに」(Ⅰコリント12:11)働かれるお方なのです。
では、聖霊はどのようなところに臨まれ働かれるのでしょう。

1.祈り求められているところ

預言者ヨエルは後の時代に聖霊が与えられることを預言していました。ヨエル2:28,29
この預言が成就したのが最初のペンテコステの日の聖霊の注ぎの時です。
ここには「わたしの霊をすべての人に注ぐ」とありますが、聖霊の注ぎは、
全ての人に自動的に与えられるのではなく、「求める人全て」に与えられるのです。
ですから、イエス様は聖霊に満たされることを待ち望むようにと言われました。使徒1:4
弟子たちはエルサレムで「みな心を合わせ、祈りに専念して」いました。使徒1:14
彼らが「五旬節の日になって、みながひとつ所に集まって」いると、
「天から、激しい風が吹いてくるような響きが起り」、
「みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした」のです。
聖霊はご自分が求められ、歓迎されているところに来て下さいます。
イエス様は「求めなさい。そうすれば与えられます」(ルカ11:9)と語られた中で言われました。
「天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう」(ルカ11:13)
また、イエス様は聖霊の注ぎについて、
「わたしのもとに来て飲みなさい」と招いておられます。ヨハネ7:37-39
飢え渇いた心をもって聖霊の注ぎを求めて祈ろうではありませんか。
聖霊は私たちが祈り求めるところに来て下さるのです。

2.賛美がなされているところ

私たちが主を賛美する中に聖霊なる主は臨まれます。詩篇22:3
・ダビデは、勇士であっただけではなく、「立琴をひく者」でもありました。Ⅰサムエル16:18
サウル王は神様に不従順になってしまったため、
彼から聖霊が離れてしまい、悪霊に悩まされるようになってしまいました。16:14
しかし、ダビデが立琴をひくと、悪霊はサウルから去っていったのです。16:23
それは、ダビデが奏でる賛美の中に主の霊、聖霊が臨まれたからです。
・預言者エリシャは、主の御心を知るために主の臨在を求めました。
その時に使われた方法は賛美でした。Ⅱ列王3:15
おそらく、主への賛美が奏でられたのでしょう。
その時、聖霊が臨まれ、主の語りかけを聞くことが出来たのです。
Ⅱ歴代5:13,14。ソロモンが神殿を奉献する時、賛美する者たちが立てられました。
楽器を奏でる者たちも、賛美を歌う者たちも、
「まるでひとりであるかのように一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた」のです。
すると「主の宮は雲で満ちた」、すなわち主の霊に満ちたのです。
Ⅱ歴代20:21-23。ヨシャパテ王はモアブ人とアモン人との闘いの時、
武装した者たちの前を賛美する者たちが主を賛美しながら前進するようにしました。
「彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき」、
主が働かれ、敵は同士討ちを始めて、「互いに力を出して滅ぼし合った」のです。
賛美の中に主の御霊が働かれたのです。
心からの賛美をささげ、聖霊なる主をお迎えしましょう。
賛美がなされる中に聖霊は来て下さるのです。

3.へりくだりのあるところ

聖霊はその名称の通り「聖なる」お方であり、「きよい」お方です。
ですから、聖霊は「聖なる」ところ、「きよい」ところ、「高く聖なる所」におられます。
しかし、聖なる聖霊は「へりくだった人とともに住む」のです。イザヤ57:15
へりくだるとは、単に「控えめ」であるとか「自己卑下をする」ことではありません。
本当に「へりくだった人」とは、どのような人のことなのでしょうか。
・自分の罪を認めて、悔い改める人
神様が喜ばれる心は、「砕かれた、悔いた心」です。詩篇51:17
人間は罪を犯してしまった時、裁きを恐れ、自分を守るために、
言い訳を言ったり、人のせいにしたり、ごまかしたりしてしまうものです。
しかし、神様は私たちを罰しようとしておられるのではなく、
私たちを赦し、きよめ、やり直しをさせたいと願っておられるのです。Ⅰヨハネ1:9
・自分に頼らず、神様に頼る人
神様は、自分の弱さ、無力さ、足りなさいを認め、
神様を求め、信頼する人と共におられるのです。
ヨシャバテ王がモアブ人とアモン人の大軍を前にして、自分たちの無力さを認め、
神様を求めて祈ると、「主の霊」が臨み、主が語られました。Ⅱ歴代20:12-14
・従順に「はい、主よ」と応答する人
どんなに謙遜であっても、主の御言葉や御心に従わないのであるなら、高慢と同じです。
サウルから主の御霊が去ってしまった原因は彼の不従順にありました。Ⅰサムエル15章
自分の考え方ややり方を押し通そうとするのではなく、主の御言葉と御心に従うのです。
主は従順を喜ばれます。Ⅰサムエル15:22。へりくだった人に聖霊は臨まれるのです。

今も聖霊の風は「思いのままに」、「みこころのままに」吹いています。
御霊の風を迎えて、いのちにあふれたクリスチャン、教会となりましょう。