19.6.2.
私たちは、不誠実な世の中に生きています。信頼出来ない社会となっています。しかし、私たちの神は、どんな時でも、あらゆることにおいて、誠実なお方です。
1.神はご自身の民に対して誠実です
旧約聖書は神が誠実なお方であると明確に語っています(申命7:9、詩篇36:5、89:5)。新約聖書にも同様なことを見ることが出来ます(Ⅰコリ1:9、Ⅰテサ5:24、へブ10:23)。また、神が成された御業を見ることによって、神が誠実なお方であると知ることが出来ます。神は、約束されたその一つ一つの約束を守られました。
神は、エジプトで苦しむイスラエルの民を約束通り救い出されました。彼らは、奇跡的に紅海を渡りましたが、不信仰と不従順のゆえに、40年間荒野をさまよわなければなりませんでした。エジプトから脱出して来た人々は、女や子どもを除いて、60万人いたと言われています。控えめに見積もっても、300万人はいたでしょう。しかし、神はイスラエルの人々の必要を誠実に備えて下さいました(申命8:2-4)。
その後、神は彼らを約束の地に導き、国家として建て上げました。しかし、彼らの不従順のため、神は他の国がイスラエルを滅ぼすことを許されました。哀歌を通して、エルサレムの人々がバビロニアとネブカデネザル王によって、ひどく苦しめられる姿を垣間見ることが出来ます。エレミヤにとって、それは絶望の暗闇、彼を憂鬱にさせるものでした。しかし、哀歌のほぼ真ん中である3章で、神の誠実さについて書いています。彼は、悲嘆の只中で、希望と光と喜びを見出すことが出来ました。
私たちも人生の中で、不幸の中で、日々の生活の中で、不条理な人生の中で、苦悩の中で、神が誠実なお方であることが見ることが出来ます。神の御手が私たちを支え、神の愛が私たちを取り囲んでいることを、混乱の中でも神の力が現れることを見ることが出来るのです。
2.神はご自身の約束に対して誠実です
エレミヤは、力強い告白をする直前に、全く希望を失い、力も衰え果て、心の苦悩を書いています。エレミヤの思いが奇跡的に変わった鍵は21節に見られます。エレミヤは何を思い返したのでしょう。絶望的な状況にも関わらず、御言葉が永遠に宣言していることを思い起こしたのです。神の憐れみは、自分が気付いても気が付かなくても、朝毎に新しいことを理解ました。エレミヤの心の変化は、彼の状況が劇的に変わったから起こったのではなく、彼の考え方が根本的に変わったことによりました。彼は一時的な問題に対処するために、永遠の視点を持ったのです。
へブル11章には、確固とした信仰によって、不可能な状況に立ち向かった人々のことがあげられています。非常な困難の中から奇跡的に救い出された人たちもいましたが、誠実な神に対する揺るがない信仰を手放すことなく死んだ人たちもいました。彼らの忍耐の鍵は何だったのでしょう。それは、永遠の視点を持つということです。彼らは、神の永遠の約束に目を向けることによって耐え忍びました。彼らは、本当の希望がこの世のどんな物によもよらないということを理解しました。彼らは、現在自分が置かれている困難にも関わらず、忠実な父なる神の約束に自分の魂をゆだねたのです。
神はご自身の言葉を決して揺るがすことなく、忘れることなく、捨てることがありません。神は全てのことについて、いつでも誠実です(詩篇33:1-5)。
3.神はご自身の計画と目的に対して誠実です
神の誠実さは、単に個人に対してだけではありません。神は、ご自身の計画と目的に対しても、ご自身の御名のゆえに誠実なのです。神は、ご自身の全ての約束を忠実に守られました。神は、聖書全体を通してご自身の誠実さを示しておられます。全ての預言が文字通り実現したということは、神の絶対的な誠実さを示しています。全ての約束が実行されたということは、これからなさる全ての約束も実行されるということです。
神はご自身の御言葉を忠実に守られます(申命7:9-10、イザ25:1)。神は始められた業を忠実に完成します(Ⅰテサ5:23-24、Ⅰコリ1:4-9、Ⅱテモ1:12)。聖書が神の誠実さについて語っていることを思い起こしましょう。今は自分には見えなくても、感じられなくても、それが実現することを思い起こすのです。
へブル10章は、約束された方が忠実であるという希望をしっかり持っているように励ましています。ペテロは、迫害と患難の中にあった読者たちに神の誠実を考えるように励ましました(Ⅰペテ4:19)。エレミヤは、状況がどんなにひどくても、それは永遠という光の中ではつかの間のことに過ぎないことを理解しました。それゆえに、彼は最終的な回復の約束を期待をもって待っていたので、どのような状況の中でも、神を信頼出来たのです。
神の憐れみは本当に朝毎に新しいのです。神は、人生がうまくいっている時もうまくいっていない時でも誠実なお方です。私たちは、このことのゆえに神をたたえるのです。トーマス・O・チショルムは「父の神の真実は」という賛美を作ました。病を抱え、貧しく、困難な生活の中にあっても、彼は決して不満を口にしませんでした。その代わりに彼は告白しました。「大いなるかな。あなたの真実は。それは朝毎に新しい。全ての必要は御手によって備えられる。今日の力、明日への希望が与えられる。」
メッセージ:アンドリュー・ビンダ師
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