マタイの福音書 14:13-21
2024年6月9日
5千人の給食の奇跡は4つ全ての福音書に書かれています。4つの福音書全てに記されているのは非常に珍しいことです。ですから、この出来事が弟子たちに大きな衝撃を与えた奇跡だったことが分かります。今日の箇所には3種類の人たちが出てきます。
1.群衆
群衆は主イエスの行かれる場所に集まりました。そこには癒しがあり、解放があったからです。だから群衆は自分たちの必要が満たされるためにイエスの元へ行きました。群衆はとにかく自分の必要を満たしてもらうことをいつも考えていました(13,14節)。
2.ピリポ
弟子とは主イエスを模範とし、イエスに従い、イエスと共に働く者です(16節)。弟子は群衆とは違います。もちろん彼らもイエスに必要を求めることはありました。でもそれよりもイエスに協力して人々の必要を満たそうとする側にいました。
大勢の人々がイエスの教えを聞きに集まっていました。夕方になって、時刻も遅くなってきたので、弟子たちはイエスに「群衆を解散させてください。そして村に行ってめいめいで食物を買うようにさせてください。」(15節) と提案しました。
イエスは弟子たちに「彼らが出かけて行く必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」(16節)と応えます。
彼らは群衆の人数の多さに圧倒されたことは間違いないでしょう。
この時に発言した人が二人いました。そのことの詳細が並行箇所のヨハネの福音書6章に記されています。まずはピリポです。彼は「めいめいが少しずつ取るにしても、200デナリのパンでは足りません。」(ヨハネ16:7) と言いました。彼は現実主義者でした。
3.アンデレ
アンデレはピリポと違う反応をしました。彼は「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」(ヨハネ16:9、マタイ14:17)と言いました。彼も「5つのパンと2匹の魚」で大勢の人たち全部に食べさせるのは難しいと思ったでしょう。けれども、ピリポとの違いがありました。それはとにかくイエスの元に、自分が今持っている物、自分が見つけた物を持ってきたということです。彼には信仰がありました。
主イエスは5つのパンと2匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福しました(19節)。
すると奇跡が起こり、パンと魚が増えました。皆が満腹になったのです(20節)。
私たちもたとえ少なく思えても、今自分に与えられているものを主イエスに差し出しましょう。そうすれば、イエスは奇跡のみわざをなしてくださると信じます。
主イエスに差し出すあなたにとっての「5つのパンと2匹の魚」は何でしょうか?
Filed under: 和田一喜牧師