マタイ4:1-11

26.8.9.

(前回の続き)

 

2.神を試し栄光を得ようとする誘惑

今度は、「悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせ」(5)た。「聖なる都」とは、イスラエルの都エルサレムのこと。ヘロデ大王が建てた「神殿の屋根の端」には、「ラッパの場所」とも呼ばれる場所があった。そこはエルサレム全体を見下ろせる場所で、祭司たちが安息日を知らせるラッパを吹いた。悪魔は、イエスにそこから「下に身を投げなさい」(6)と言った。神殿の高さは約20~30mだったと言われ、飛び降りたら即死してしまう。

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マタイ4:1-11

26.8.2.

イエスは、公生涯に入る前に、ヨルダン川で水のバプテスマを受けた。その時、聖霊が鳩のようにイエスに降り、天から父なる神の声がして、イエスが父なる神によって愛さたれた神の御子であることが宣言された(マタ3:16-17)。

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マルコ4:3-20、マタイ13:3-9,18-23

260726

イエスは、種まきの例え話をされました。ある人が種まきに出かけました。この種とは神の御言葉であり、その種の落ちる土地は聞く人の心です。良い土地に種が落ちるなら、豊かな実が実り、良くない土地に落ちるなら、何も実りません。実を実らせるとは、神の御言葉にある神の約束が実現していくことで、生きる喜びと希望が与えられたり、病気が治り元気になったり、経済的な必要が満たされたり、神の約束しておられる永遠のいのちを得ることです。どのような心で御言葉を聞いたらよいのでしょうか。

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2026.7.19

イザヤ書は、大きく前半の1~39章と、後半の40~66章に分けることができます。
前半では、イスラエルの罪と裁き、不信仰と人間の弱さが語られます。
しかし後半では、神の慰め、回復、救いの希望が語られます。
39章では、将来のバビロン捕囚が予告されます。国、エルサレム、神殿、故郷を失う時代が来ることが告げられました(39:6,7)。
しかし、イザヤ書は39章で終わりません。40章から、裁きの後の慰め、絶望の後の希望、捕囚の後の帰還が語られます(40:1~5)。

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へブル12:1-3

26.7.12.

3.イエスを見つめよう

信仰の競走を走るために必要な3つ目の「Let’s」は「let’s fix our eyes:見つめよう」。「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」(2)

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へブル12:1-3

26.7.5.

この箇所で、信仰生活が「競走」(レース)に例えられている。

時間(速さ)や距離を競い合う「競争」(コンペティション)ではない。Cf.ピリ3:12-14

へブル12:1-2には、ギリシヤ語では、3つの「Let’s」(~しましょう)がある。

「let’s throw off:投げ捨てよう」、「let’s run:走ろう」、「let’s fix our eyes:見つめよう」。

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260628

私たちは時々、どうしようもない行き詰まりを経験することがあります。前進することも後退することもできないとき、私たちはどうしたらよいのでしょうか。

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2026.6.21

お父さんたちは、地上の父である前に、天の父に愛されている神の子供です。父なる神の愛を受け取り、その祝福を家庭へ、子供たちへ、次の世代へ流していく者として召されています。アブラハムの姿から、父の信仰について三つのことを見たいと思います。

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創世 12:1-3

26.06.14

「アブラハム契約」を一言 〔ひとこと]でいうなら「祝福の契約」です。
アブラハム契約の目的は、 アダムの罪によって失われてしまった神の国を回復し、祝福を諸民族にもたらすこと、 呪われてしまった世界に祝福を回復するための契約です。
罪によって死に定められた人類に対し、 救い主と永遠の命を約束しています。

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ヨシュア6:1-21

26.6.7.

イスラエルの民が最初に勝ち取らなければならない町はエリコだった。イスラエルの民は、エリコの町をどのように攻め落としたのか。

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