ピリピ 2:1、エペソ 1:20-23

1. 「キリストにあってこそ意義がある

クリスチャンとはイエスに従って歩む人たちですが、さまざまな働きや文化や知識などに傾倒することもあります。しかし、どのようなことも、キリストにあって意味をなすものです。 「励まし、 愛の慰め、 御霊の交わり、 愛情とあわれみがある」ということにクリスチャンは喜びを感じます(ピリ2:1)。 しかし、 「キリストにあって」と書いてあります。 私たちが様々な活動をしても、私たちが 「キリストにある」のでなければ意味がないのです。

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I 列王 18:36,37

2024.08.04

1.行く

私たちは積極的に出て行かなければいけません。エリヤは喜んで出て行く器でした(18:1)。 神がエリヤに行くように語ると、エリヤはただ従って出て行ったのです (18:2)。

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詩篇123:1-4

2024.07.28

1. 山に向かって目を上げる

昨年私は脳梗塞で倒れ、自分の無力さに悩みました。また、宣教においてもヨーロッパでは教会が衰退し、日本でも教会数が8000から6000に減ったと聞きました。このような状況で主に目を注ぎ主の御手が動かされることに期待したいのです。

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約束の回復

創世 12-1:4,16:1-16,21:8-21

2024年5月26日

1.約束が与えられたアブラハム

主はアブラハムに「あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、私が示す地へ行きなさい。そうすれば、私はあなたを祝福し、大いなる国民としよう(創世記 12:1-3)という約束を与えました。この約束が与えられた時、アブラハムは75歳、妻のサラは65歳でした。 アブラハムは主の約束を信じて、どこに行くかを知らないで出て行きました (ヘブル 11:8-10)。

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ルカ8:41-44,48-55

2023.10.08

1. 12年間長血の女

この長血の女は12年間病に侵されていて、誰も彼女を治せませんでした。外見上、彼女は元気に見えたかもしれませんが、彼女の内側は、弱く、疲れ果て、出来ることも限られていました。あなたも内にある問題によって疲れていませんか。あなたはそれを直そうとしましたが出来ず、疲れ果ててしまってはいませんか。自分で頑張ることを止め、イエスのもとに行きましょう。この女のように、イエスに触れるだけで、イエスに繋がることによって、命と癒しが与えられるのです。

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マタイの福音書 5:13-16

2023年8月13日 

キリスト者は「地の塩、世の光」として、この世界に遣わされている者たちです。今日の箇所を通して、私たちに与えられている2つの役割を見たいと思います。

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イザヤ書6:1-8

2023年7月30日 

イザヤによる預言のテーマは「裁きと救い」です。イザヤの名前は「主は救う」という意味があります。イザヤは救いのメッセージを伝える預言者だったのです。

イザヤは神から3つの幻を見せられました。私たちは何を見ているでしょうか?

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Ⅰコリント10:1-14

2023.07.02

ペンテコステの祭りは主の例祭の一つで、神が定めてイスラエルの民に行うように命じたことです。ユダヤ教の3大祭りは、「過越の祭り」、「七週の祭り」(ペンテコステの祭り,聖霊降臨祭)、「仮庵の祭り」です。過越の祭りと七週の祭りは既に成就しましたが、仮庵の祭りはイエスの再臨の時に成就すると言われています。神はモーセを通して、イスラエルの民をエジプトから贖い出して下さり、シナイ山まで導かれました、モーセはシナイ山に上って、主から十戒を受け取りました。また、それだけではなく、幕屋の作り方や様々な戒めと定めを受け取りました。

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ペンテコステの日に

ルカ24:13-32、使徒2:1-11

2023.05.28

1.神の御業を聞いて心は燃える

ルカ24章13節から、エマオに向かう2人の弟子の話があります。彼らはイエスが十字架にかかって死なれたことを知っていて、その心は打ちひしがれていました。そのとき、イエスが近づいてきて、ともに歩き、聖書の話をしました。彼らはその人がイエスであることを知りませんでしたが、イエスが食事を祝福する姿を見てイエスであることに気づきました。この瞬間にイエスは見えなくなりました。彼らはイエスとともにいて、イエスが聖書を説明してくださったとき、火のように燃える心を感じたのです(ルカ24:31)。イエスが聖書の話をされたとき、すなわち神の御業を語って聞かせてくださると、私たちの心は燃えるのです。私たちはたとえ自分の無力さに打ちひしがれていても、御言葉に触れて霊に燃やされましょう。

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2023.05.07

1.信仰は、聖書の言葉を聞くことを通して与えられます

盲人バルテマイたち(マルコ10:46)は、目が見えなかったので仕事をすることができず、物乞いをしなければいけない状況に追い込まれていました。彼らは自分の将来に希望を持つことできずに、絶望していました。そのような彼らが「イエスが通られる」(30節)という知らせを聞いたのです。その時に、バルテマイたちの心に希望が湧いてきました。信仰が与えられたのです。なぜなら彼らはイエス様が盲人の目を開けたニュースを聞いていたからです(ヨハネ9:6,7)。信仰は聞くことから始まります(ローマ10:17)。私たちも毎日聖書の言葉を読んで信仰の満たしを受けていきましょう。

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