創世記25:20-34

24.11.3.

人生には、大小様々な選択がある。人生は一度だけ。貴重なもの。人生を無駄にしないために、正しい選択をしなければならない。今日は、エサウとヤコブの選択から学びたい。

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24.10.20.

人生には小大様々な選択がある。そして、人生は一度しかない貴重なもの。だから、この人生を無駄にしないために、正しい選択をしなければならない。間違った選択をして失敗しないためには、どのように選択をしたら良いのか。

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Ⅱ列王4:1-7

24.10.6.

預言者の夫を亡くした妻がエリシャに彼女の子供たちが借金のために奴隷にされようとしていることを訴えた(1)。同様に、今日、人々は罪の奴隷となり、永遠の滅び(地獄)へと向かっている。エリシャは、そのような窮状から救うために彼女に言った。「隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも、一つ二つではいけません。」(3) 彼女の子供たちが救われるために必要とされたのは「器」だった。今日も、滅び行く人々が救われるために必要とされているのは「器」。神は、人々を救いに導く「器」を求めている。その「器」とは、神の働き人のこと。パウロは、福音を伝えるための神の「選びの器」(使9:15)であると言われた。そして、私たちクリスチャン一人一人も「器」として神に召されている(ロマ9:24)。神は、人々を救いに導くために、どのような「器」を用いるのか。

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24.9.15.

福音宣教は「エルサレム」から始まり、「ユダヤとサマリヤの全土」、さらに「地の果て」すなわち全世界に広まった(使1:8)。その福音宣教に大きく貢献したのがパウロ。パウロはどのような姿勢で宣教したのか。

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24.9.1.

一般的に、「へりくだる」ということは、「自分自身を低くする」ということと言える。しかし、「自己卑下」とは異なる。Cf.コロ2:18。自分は罪深く、愚かで、無力な者であるとあまりにも卑下し過ぎることは、へりくだることではなく、「へりくだり」という仮面を付けた「高慢」でしかない。「主の御前でへりくだる」とは、どのようなことか。

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24.8.11.

イエスは、ガリラヤ湖で網を打っていたペテロとアンデレに呼びかけた。「わたしについて来なさい。」(マタ4:19) すると、「彼らはすぐに網を捨てて従った」(マタ4:20)。また、イエスは舟の中で父と一緒に網を繕っていたヤコブとヨハネにも呼びかかけた。すると、「彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った」(マタ4:22)。イエスの「わたしについて来なさい」という呼びかけは「弟子」への招きだった。イエスは、私たちにも「わたしについて来なさい」と呼びかけている。ルカ9:57-62で、イエスは、イエスに従う者の心構えを教えている。

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24.7.21.

「自分の十字架を負いイエスについて行く」とは、どういうことか。

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24.7.7.

Ⅰコリ13:5には「怒らず」と書いてある。しかし、これを実践することはかなり難しい。実際には、家庭でも、職場でも、学校でも、町でも、教会においてさえも、様々な人との関わりの中で怒ってしまうことがある。しかし、聖書は、怒りを適切にコントロールすることを教えている。

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24.6.16.

日頃、家族のために、一生懸命働いているお父さんたちに感謝したい。さらに、私たちの天の父なる神にも感謝をささげたい。

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コロサイ3:13-15

24.6.2.

この聖書箇所に書かれていることを一言で言うなら「愛による一致」と言える。

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