25.3.2.

サムソンは、士師記の中で最後に登場する12番目の士師。サムソンは、どのような士師だったのか。そして、サムソンからどのようなことを教えられるのか。

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いのちの息吹を受けよう

エゼキエル37:1-14

25.2.2.

エゼキエルは、エルサレムの神殿で仕えていた祭司だった。しかしBC597年、第一次バビロン捕囚の際に、バビロンへと連れて行かれた。そしてその5年後、バビロンの地で預言者として召された。エゼキエルは、バビロンの地で、ユダヤ人たちに神からの言葉を語った。エゼキエル37章は、イスラエルの回復について語られている。

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25.1.19.

「これらの出来事の後」(1)とは、直前の21章に書かれている出来事。アブラハムにイサクが与えられ(21:1-7)、女奴隷ハガルと息子イシュマエルと別れ(21:8-21)、アビメレクとの平和条約が結ばれ(21:21-34)、平安な生活を送ることが出来た時、「神はアブラハムを試練に会わせられた」(1)。それは、アブラハムが主を信頼し、主の御声に従うかどうかを試すための試練であった。アブラハムは、主の御声にどのように従ったのか。

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25.1.5.

イエスは、弟子たちに「あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタ28:19)と命じた。イエスは、単に「人々を信者にしなさい」と言ったのではなく、「人々を弟子としなさい」と言ったのである。イエスが求めているのは、単なる信者ではなく、「弟子」であるということ。そしてイエスは、「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です」(ヨハ8:31)と言った。イエスの本当の弟子とは、イエスの「ことば」に「とどまる」者であるということ。イエスの「ことば」に「とどまる」とは、イエスの教えに従って生きること。それは、みことばに生きるということ。それは、どのようにしたら出来るのか。

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ルカ1:26-38、マタイ1:16-25

24.12.8.

イエス・キリストは処女マリヤから生まれた。だから、イエス・キリストの誕生は、「処女降誕」と言われている。この処女降誕は、どのようにして起こったのか。また、どのような意味があるのか。

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24.12.1.

イエス・キリストの誕生は、マタイとルカの福音書に詳しく書かれている。ルカの福音書では、イエスの誕生の前に、バプテスマのヨハネの誕生が書かれている。御使いガブリエルは、バプテスマのヨハネの父ザカリヤに息子が与えられることを告げた。この出来事から、祈りについて教えられることが3つある。

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創世記25:20-34

24.11.3.

人生には、大小様々な選択がある。人生は一度だけ。貴重なもの。人生を無駄にしないために、正しい選択をしなければならない。今日は、エサウとヤコブの選択から学びたい。

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24.10.20.

人生には小大様々な選択がある。そして、人生は一度しかない貴重なもの。だから、この人生を無駄にしないために、正しい選択をしなければならない。間違った選択をして失敗しないためには、どのように選択をしたら良いのか。

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Ⅱ列王4:1-7

24.10.6.

預言者の夫を亡くした妻がエリシャに彼女の子供たちが借金のために奴隷にされようとしていることを訴えた(1)。同様に、今日、人々は罪の奴隷となり、永遠の滅び(地獄)へと向かっている。エリシャは、そのような窮状から救うために彼女に言った。「隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも、一つ二つではいけません。」(3) 彼女の子供たちが救われるために必要とされたのは「器」だった。今日も、滅び行く人々が救われるために必要とされているのは「器」。神は、人々を救いに導く「器」を求めている。その「器」とは、神の働き人のこと。パウロは、福音を伝えるための神の「選びの器」(使9:15)であると言われた。そして、私たちクリスチャン一人一人も「器」として神に召されている(ロマ9:24)。神は、人々を救いに導くために、どのような「器」を用いるのか。

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