マタイ1:18-25
25.12.7.
マリアが妊娠したことを知ったヨセフは、「内密に」マリアと離縁しようと考えた。このことを思い巡らしていると、夢の中に御使いが現れて、「恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。…」と語られた。マタイは、これらの出来事はイザヤ7:14の預言の成就であったと言っている(22-23)。その中で、生まれて来るメシアは「インマヌエル」と呼ばれると言われている。これは、単なる名前ではなく、イエスが「インマヌエル」なるお方であるという意味。では、「インマヌエル」と呼ばれるイエスは、どういうお方なのか。
1.神が人となって私たちの世界に来られた
御子イエスは、世界の始まる前から存在していた。なぜなら、御子はただの人間ではなく神であるから。使徒ヨハネは、イエスについて、次のように証言している。「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。」(ヨハ1:1-3) ヨハ1:14から、この「ことば」とはイエス・キリストのことであることが分かる。御子イエスは神であり、世界の初めから神として存在しておられた(コロ1:15-17)。しかし、私たちと同じ人間となって生まれて来て下さったのである(ピリ2:6-8)。霊なるお方が肉なる者となり、永遠なる方が有限なる者となって下さった。イエスは、約2000前に生まれた。その姿は人間の赤ちゃん。しかし、イエスの本来の姿は神であった。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」神が人間となって、私たちの世界に来られ、私たちの中に共に住まわれた。それゆえ、イエスは「インマヌエルと呼ばれる」。
2.イエスの受肉の目的
「ことばは人となって」のギリシヤ語の直訳は「ことばは肉体となった」。これを神学的な言葉で「受肉」と言う。何のために神である御子は肉体をもって来られたのか。
① 目に見えない神を現すため
コロ1:15には「御子は、見えない神のかたちであり」とある。ヘブ1:3には「「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり」とある。また、イエス自身も「「わたしを見た人は、父を見たのです」(ヨハ14:9)と言われた。神は霊であり、姿も形もないため、人間の肉眼で見ることの出来ないお方。神はご自身を現すために、人間の姿をとって来て下さった。ですから、イエスを見る時、神がどのようなお方であるかを知ることが出来る。イエスの言葉、教え、態度、行い、力ある働きを通して、神がを知ることが出来る。
② 憐れみ深い大祭司となるため
イエスは、私たち人間と同じ肉体を取られたので、私たちが経験する全てのことを経験した。イエスは、私たちと同じように、空腹、喉の渇き、疲れを覚え、悪魔の誘惑も受けたが、私たちと違うことは、決して罪を犯すことはなかった(ヘブ4:15)。イエスは、私たち人間と同じ苦しみを経験することによって、私たち人間の弱さを理解して下り、同情して下さる。だから、イエスは「大祭司」として、父なる神の前で、私たちを執り成すことが出来る。イエスは、私たちを執り成す「大祭司」となるために、私たち人間と同じ姿となり、私たちと同じような経験をされた(ヘブ2:17-18)。
③ 人間の罪のために死ぬため
聖書は、「すべての人は罪を犯し」(ロマ3:23)と言っている。そして、罪は必ず裁かれなければならず、その結果は死である(ロマ6:23。ヘブ9:27)。罪が赦され、死と滅びから救い出されるためには、身代わりの命すなわち血が流されなければならない(ヘブ9:22)。そのため、旧約時代には、いけにえの動物が殺され、その命である血が流された。しかし、動物の血は不完全であったため、何度も繰り返されなければならなかった。しかし、2000年前、イエスは完全ないけにえとしてご自身をささげた。イエスは人となられた神であり、何の罪も汚れもなかったが、全ての人の罪を身代わりに負って、十字架にかかり、血を流し、死んで下さった(Ⅰペテ2:24)。イエスは、私たちを罪と死と滅びから救うため、十字架にかかり死ぬために来られた。血を流し、死ぬためには、肉体が必要だったのである(ヘブ2:14-15)。そのため、神であるイエスは、人間と同じような肉体をとり、この世界に来られた。
イエスは、十字架で死なれた後、墓に葬られたが、三日目によみがえった。そして、イエスは、天に帰られる前に、弟子たちに言われた。「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタ28:20) イエスを信じる時に、私たちは新しく生まれ変わる(Ⅱコリ5:17)。それは、私たちの内に来られる聖霊よってなされる(ヨハ3:5)。聖霊は、「もうひとりの助け主」(ヨハネ14:16-17)で、イエスと同じお方。聖霊が私たちの内におられるということは、イエスが私たちの内におられるということ。すなわち、神なる御子イエスは、信じる者の内に共におられる。すなわち、インマヌエル。
クリスマスは、単なる赤ちゃんの誕生ではない。それは、神が人となって私たちの世界に来られた日。私たちを救うために、この世界に来て下さったイエスを信じ、迎え入れよう。そして、日々聖霊に満たされ、神の臨在の中、イエスと共に歩もう。
やがて、主イエスが私たちを迎えに帰って来られる時が来る。その時には、私たちは「いつまでも主とともにいることになります」(Ⅰテサ4:17)。インマヌエル。
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