26.4.19.

イエスは、地上でのご自分の働きを全て終えられ天に帰られた。しかし、イエスが天に帰らず、そのままずっとこの地上に残っていた方が、さらに多くの人々にご自分を現すことが出来て良かったのではないだろうか。しかし、イエスが天に上げられたことには、3つの目的があった。

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マタイ28:1-15、マルコ16:1-14、
ルカ24:1-43、ヨハネ20:1-21:23

26.4.5.

イエスは、私たちの罪を身代わりに負い、十字架にかかり死んで下さった。イエスの体は亜麻布に包まれて、墓に葬られた。その墓は、岩をくりぬいた洞窟のようになっていた。イエスの体が墓に納められると、墓の入口は大きな石で塞がれ封印された。しかし、三日目に、イエスは、死の力を打ち破り、よみがえられた。このイエスの復活は、私たちにどのような希望をもたらしたのか。

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26.3.15.

イエスは弟子たちの足を洗われた。これは「過越の祭りの前」(1)、すなわちイエスが十字架にかかれる前日(木曜日)の晩、弟子たちと共に「最後の晩餐」と呼ばれる「過越の食事」の時の出来事。「イエスによる洗足」は、どのような意味があったのか、何を教えているのだろうか。

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マルコ14:1-9

26.3.1.

受難週に起こった出来事の一つである「マリアによる香油注ぎ」から、「奉仕」について一緒に学ぶ。並行記事…マタ26:1-16、ルカ22:1-6、ヨハ12:1-8。

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詩篇51:12

26.2.15.

奉仕について共に御言葉から学びたい。

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26.2.1.

イエスは、天に上げられる前に、弟子たちに命令された。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」(マコ16:15) これは、「大宣教命令(Great Commission)」と呼ばれ、4つの福音書全てに記されている。マタ28:19。ルカ24:46-48。ヨハ20:21。イエスが命じられた福音宣教、特に世界宣教について学ぶ。

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創世記25:20-34

26.1.18.

人生には、大小様々な選択がある。何を基準に選択していったらよいのか。今日は、エサウとヤコブの選択から学ぶ。

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26.1.11.

ルツ記の時代は、「さばきつかさがおさめていたころ」(1)であった。それは、士師記の時代であつた。AD1100~1000年頃と言われている。その時代のことが士21:25に書いてある。「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」イスラエルの民は、偶像礼拝の罪を犯すようになり、政治的にも社会的にも堕落し、混乱した霊的に暗い時代であった。今の時代も、ルツ記の時代と同じように、暗い時代であると言える。しかし、そんな時代でもルツは神に従うことを選び取ることによって、祝福の人生へと導かれた。このルツの生き方から共に学びたい。

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イザヤ60:1-3

26.1.1.

これは、再びエルサレムは建て直され、繁栄するようになるという預言。この預言は、エルサレム滅亡の70年後に実現し、エルサレムは再建された。しかし、この預言の最終的な成就は、未来における新しいエルサレムにおいて。今、私たちはその過程の中にあるが、この御言葉は、今日の私たちにも語られている。

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25.12.7.

マリアが妊娠したことを知ったヨセフは、「内密に」マリアと離縁しようと考えた。このことを思い巡らしていると、夢の中に御使いが現れて、「恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。…」と語られた。マタイは、これらの出来事はイザヤ7:14の預言の成就であったと言っている(22-23)。その中で、生まれて来るメシアは「インマヌエル」と呼ばれると言われている。これは、単なる名前ではなく、イエスが「インマヌエル」なるお方であるという意味。では、「インマヌエル」と呼ばれるイエスは、どういうお方なのか。

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